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2023年9月19日【イベント】

ヤマハ発動機、2023年EWCの年間チャンピオンに輝く

坂上 賢治

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#7 YAMALUBE YART YAMAHA EWC Official Team

 

9月16〜17日に行われた世界耐久選手権(EWC)・第4戦ボルドール24時間耐久レースに於いて「#7 YAMALUBE YART YAMAHA EWC Official Team(YART)」が4位を獲得。この結果、チームにとっては2009年以来。ヤマハ発動機にとっても2017年以来(GMT94 Yamaha Official EWC Team)となるシリーズチャンピオンを獲得した。

 

 

YARTは今シーズン、フランスでの開幕戦のル・マン24時間耐久レースで2位、続くベルギーでのスパ24時間耐久レースでは2020年のエストリル12時間耐久レース以来、また24時間耐久レースでは14年ぶりとなる勝利を手にして1ポイント差ながらランキングトップに浮上した。

 

そして日本での鈴鹿8時間耐久ロードレースでは、レース序盤にトラブルが発生し43番手まで後退したものの、最後は総合23位でチェッカー(後日上位チームに失格があり総合22位に変更)を受け、トップの「F.C.C. TSR Honda France」に13ポイント差のランキング2位で最終戦を迎えた。

 

最終戦の第4戦ボルドール24時間耐久レースでは、中盤までにはチャンピオンシップの主なライバルたちがリタイアし、実質的には「YOSHIMURA SERT MOTUL」との一騎打ちとなった。

 

 

更にSERTとはポイント上、十分なアドバンテージがあったため、YARTはペースをコントロール。この戦略が功を奏して残り8時間まで2番手をキープ。

 

その後、オーバーヒートが発生するもチームが的確に対処した他、ピットストップのたびにマシンのチェックを行う徹底したリスク回避を行いながら周回を重ね、最終的には705周を走り切って4位でフィニッシュ。この結果、合計181ポイントを獲得し、ランキング2位に20ポイント差をつけてチャンピオンを獲得した。なお以下は参戦した選手達とチーム監督のコメントとなる。

 

K・ハニカ選手談
「世界耐久選手権のチャンピオンになり、素晴らしい気分です。2020年に私をYARTに導いてくれたマンディ監督に心から感謝しています。彼のほかにもブリヂストンをはじめとする、私をチームの一員にしてくれた全ヤマハ・ファミリーに感謝の気持ちでいっぱいです。

 

また冬のテストのたびに、マシンの改良を目指してハードワークに取り組んだ素晴らしいチームメイトにも本当に感謝しています。彼らは常に、すべてのスティントで100%の力を出し切っていました。過去2年間はチャンピオンの可能性が十分にありながら、結果的に逃すこととなってしまいました。そして今年ついに、そのときがやって来たのです。

 

この素晴らしいチームの一員でいられることを最上の喜びに感じています。レースは本当に厳しいものでした。SERTとはいいバトルができましたが、彼らはミストラル・ストレートで本当に強かったので、しばらくは2位キープに集中していました。そのうちにオーバーヒートが発生してしまったのです。でもチームがトラブルを解決してくれて、ゴールまでたどり着くことができたことを誇りに思います」

 

 

N・カネパ選手談
「素晴らしい気分です。私たちが一緒にレースをするようになってからずっと、世界チャンピオンを目標にしてきました。ですからレースのたびに、スティントのたびに、ヘルメットを被ってマシンに跨ればすぐに、頭のなかではそのことばかりを考えていました。

 

この夢の達成のために、いつも限界までプッシュしてきたのです。耐久レースではコーナーの先に何が待っているかわかりませんが、その場所で安定することよりも常にプッシュし続け、常にベストポジションを維持して勝利を目指してきました。こうした姿勢が、今回の素晴らしい結果につながったのだと思います。

 

レースはハードでした。序盤は順調でしたが、セーフティ・カーにアドバンテージを奪われてしまいました。そのあとはまた毎ラップで懸命に戦い続けました。オーバーヒートに見舞われたときは、かなり心配しましたが、チームが見事な仕事で解決してくれました。チームのみんなの努力に感謝します。私たちは世界耐久選手権のチャンピオンになりました。本当に素晴らしい気分です」

 

M・フリッツ選手談
「何をかけた戦いなのかがわかっていたので、シーズン中、最もタフなレースだと感じました。世界チャンピオンになるという夢がついにかなったのです。今回も何度も困難にぶつかりました。

 

スタートではスリックタイヤで行く決断をして、ニッコロが素晴らしい走りをしてくれましたが、そのリードをセーフティ・カーに奪われてしまいました。また残り7時間でオーバーヒートが発生したときはとても長く感じましたが、チームの見事な判断で解決し、最後の2時間半は、また完璧な状態に戻りました。私を、そして私たち全員を信じてくれたマンディ監督感謝しています。

 

 

チームメンバーのひとりひとりが、このタイトル獲得に貢献しました。みんなが1年中、非常にハードな仕事を続けてきたのです。これ以上に素晴らしいチームメイトは想像することができません。また、これまでに非常に近いところまで行きながらたどり着けなかったこの場所に立てたことは特別の感慨です」

 

R・ムルハウザー選手談
「なんというクレイジーなレースでしょう! チームの一員になって2年経ちましたが、これまでもあと一歩と迫りながらバッドラックに見舞われてきました。今年はついに、すべての惑星が一直線に並ぶように条件が整い、世界チャンピオンになることができました。

 

とは言え、選手たちにとっては非常にタフなレースで、スタートで1ラップのリードを築いたあと、そのすべてを失ってしまったときには、今年もまただめなのかと思わざるを得ませんでした。しかしチームは見事なもので、決してあきらめませんでした。チームメイトたちは本当に素晴らしかったと思います。

 

私は決勝を走ることはありませんでしたが、チームは大きなファミリーのような感じで、マシンのセットアップやパーツテストなどを通じて彼らを助けることができてとてもうれしいです。YARTチームとヤマハ・ファミリーの一員になることができて最高の気分です。この瞬間をエンジョイします」

 

 

マンディ・カインツ監督談
「なんて言ったらいいのでしょうか。とにかく非常に特別な感情です。これまで何度もあと一歩まで近づきましたが、そのたびに何かが起こり辿り着けませんでした。最終戦の最後の1時間でタイトルを逃してしまったこともあったのです。しかし今日はついに、長年の目標を達成することができ感慨無量です。

 

私たちのマシンはライバルより遅く、厳しい戦いになりました。エンジンへの負担が大きいコースなので、トライし続けながらも、最後までエンジンをもたせるために慎重でなければなりませんでした。

 

このことでストレートでは他のマシンに比べて遅くなり、毎ラップ、コンマ6〜7秒も遅れてしまいましたが、私たちは完走するためにこの方法をとったのです。24時間レースのシミュレーション・テストなどできるはずがないので、とくにボルドールではレースそのものがテストでした。

 

ライダーたちは本当によくやってくれました。今シーズンは毎回、レースをリードしました。ル・マンではオイルに乗っての転倒がありましたが、スパ・フランコルシャンは、いくつか問題がありながらも完璧なレースをしました。

 

また鈴鹿でも非常に素晴らしいペースを見せてくれたのですが、ほんの小さなトラブルにより夢の表彰台を逃してしまいました。この大会では特に、彼らを誇りに思いました。リタイアしそうなところでしたが、彼らは決して諦めず、最後尾から22位まで挽回。しかもトラブル後に1ラップ半も取り返したのです。

 

私にとっては彼らこそがヒーローであり、真の耐久レースライダーです。常にファイティング・スピリットを持ち続け、勇敢で決意にあふれ、ついに今回はその努力を実らせたのです。このタイトルは私たちにとって、さまざまな意味を持ちます。チーム全員が大変な仕事を続けてきたので、今はこの幸せな気持ちを享受し、そのあとで、来年のタイトル防衛法について考え始めようと思っています」

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坂上 賢治

NEXT MOBILITY&MOTOR CARS編集長。日刊自動車新聞を振り出しに自動車産業全域での取材活動を開始。同社の出版局へ移籍して以降は、コンシューマー向け媒体(発行45万部)を筆頭に、日本国内初の自動車環境ビジネス媒体・アフターマーケット事業の専門誌など多様な読者を対象とした創刊誌を手掛けた。独立後は、ビジネス戦略学やマーケティング分野で教鞭を執りつつ、自動車専門誌や一般誌の他、Web媒体などを介したジャーナリスト活動が30年半ば。2015年より自動車情報媒体のMOTOR CARS編集長、2017年より自動車ビジネス誌×WebメディアのNEXT MOBILITY 編集長。

松下次男

1975年日刊自動車新聞社入社。編集局記者として国会担当を皮切りに自動車販売・部品産業など幅広く取材。その後、長野支局長、編集局総合デスク、自動車ビジネス誌MOBI21編集長、出版局長を経て2010年論説委員。2011年から特別編集委員。自動車産業を取り巻く経済展望、環境政策、自動運転等の次世代自動車技術を取材。2016年独立し自動車産業政策を中心に取材・執筆活動中。

間宮 潔

1975年日刊自動車新聞社入社。部品産業をはじめ、自動車販売など幅広く取材。また自動車リサイクル法成立時の電炉業界から解体現場までをルポ。その後、同社の広告営業、新聞販売、印刷部門を担当、2006年に中部支社長、2009年執行役員編集局長に就き、2013年から特別編集委員として輸送分野を担当。2018年春から独立、NEXT MOBILITY誌の編集顧問。

片山 雅美

日刊自動車新聞社で取材活動のスタートを切る。同紙記者を皮切りに社長室支社統括部長を経て、全石連発行の機関紙ぜんせきの取材記者としても活躍。自動車流通から交通インフラ、エネルギー分野に至る幅広い領域で実績を残す。2017年以降は、佃モビリティ総研を拠点に蓄積した取材人脈を糧に執筆活動を展開中。

中島みなみ

(中島南事務所/東京都文京区)1963年・愛知県生まれ。新聞、週刊誌、総合月刊誌記者(月刊文藝春秋)を経て独立。規制改革や行政システムを視点とした社会問題を取材テーマとするジャーナリスト。

山田清志

経済誌「財界」で自動車、エネルギー、化学、紙パルプ産業の専任記者を皮切りに報道分野に進出。2000年からは産業界・官界・財界での豊富な人脈を基に経済ジャーナリストとして国内外の経済誌で執筆。近年はビジネス誌、オピニオン誌、経済団体誌、Web媒体等、多様な産業を股に掛けて活動中。

佃 義夫

1970年日刊自動車新聞社入社。編集局記者として自動車全分野を網羅して担当。2000年出版局長として「Mobi21」誌を創刊。取締役、常務、専務主筆・編集局長、代表取締役社長を歴任。2014年に独立し、佃モビリティ総研を開設。自動車関連著書に「トヨタの野望、日産の決断」(ダイヤモンド社)など。執筆活動に加え講演活動も。

熊澤啓三

株式会社アーサメジャープロ エグゼクティブコンサルタント。PR/危機管理コミュニケーションコンサルタント、メディアトレーナー。自動車業界他の大手企業をクライアントに持つ。日産自動車、グローバルPR会社のフライシュマン・ヒラード・ジャパン、エデルマン・ジャパンを経て、2010年にアーサメジャープロを創業。東京大学理学部卒。

福田 俊之

1952年東京生まれ。産業専門紙記者、経済誌編集長を経て、99年に独立。自動車業界を中心に取材、執筆活動中。著書に「最強トヨタの自己改革」(角川書店)、共著に「トヨタ式仕事の教科書」(プレジデント社)、「スズキパワー現場のものづくり」(講談社ピーシー)など。