今年9月は、アストンマーティンがDB5を公開してから60周年にあたる。この事から、先にイングランド南東部サセックスで開催されていたGoodwood Revival festival(グッドウッド・リバイバル・フェスティバル)の舞台では、最新鋭車のDB12と並んでDB5が同社ブランドの原点として独特の存在感を示していた。( 坂上 賢治 )
このDB5について9月14日、アストンマーティンをF1に復帰させた同社取締役会会長のローレンス・ストロール氏は、「今のアストンマーティンを基礎を築いたデイヴィッド・ブラウンは、多くの優れたスポーツカーを残してくれましたが、DB5ほど魅力的な車は他にありません。
1958年に全く新しい車として発表された先代のDB4は、英国内外でのラグジュアリー・スポーツカーメーカー間との激しい鍔迫り合いがあり、国内トップの座を守るためには更なる改革を起こす必要がありました。
それを受けて1963年9月のフランクフルトモーターショーで正式発表されたDB5は、パワーユニットを中心に大きく進化を果たし、そのスタイル、パフォーマンスだけに留まらず、英国のトップラグジュアリーブランドとしての基礎を築きました。
このコンバーチブルは、バッキンガムシャーにあるニューポートパグネル工場と本社で2年余りに亘って生産され、以来、史上最高の自動車ブランドとしての名声を刻みました。
そんなDB5の60周年は、アストンマーティン110年の歴史の中で、かつて脈々と示してきた過去の足跡を振り返るのに相応しいタイミングだと思えます。現在のDB12に連なる血統が脈々と続いていることを心から誇らしく思います」と語った。
またかつての1960年代を翻ると、銀幕を仰ぎ見たあの架空のオーナーの姿を思い浮かべる人も居るだろう。
映画制作会社のイーオン・プロダクションズがジェームズ・ボンドの映画シリーズで延べ50年以上に亘って、世界一有名な諜報部員に、この車のステアリングを握らせたことが、アストンマーティンの自動車界の殿堂入りを実現させた。
しかし、当時アストンマーティンのステアリングを握った著名人は007だけではない。その頃の著名人には、ビートルズのポール・マッカートニーとジョージ・ハリスン。ローリングストーンズのミック・ジャガーもいた。
一流コメディアンのピーター・セラーズもこのモデルを手に入れ、それ以来、ロバート・プラント、ジェイ・ケイ、エル・マクファーソン、ラルフ・ローレンなど多くの著名人によって、DB5のサルーンおよびコンバーチブルは脚光を浴び続けた。
これらがDB5の存在感を示す足掛かりとなり、それまでのニッチな英国製スポーツカーメーカーだったアストンマーティンがグローバルな一流自動車メーカーへと成長する道筋を示した。
そんなDB5は、先代DB4に搭載されていた282bhp・3.7リッターツインカム直列6気筒エンジンに手を加えた新型4.0リッター(3,995cc)エンジンを搭載。時速240kmを超える最高速度により、当時のパンフレットで世界一のスピードを誇る4シートGTカーだと謳われた。
それでも車両の生産台数面でDB5の時代では、サルーンが887台、コンバーチブルが123台、職人の手によるビスポークのシューティングブレークが12台に過ぎなかった。この数字は1963年の英国製自動車の生産が合計180万台を超えていたことを考えれば、当時の基準からしても少ないものだった事が分かる。