お気に入りのクルマ、その選択肢はさまざま
もう随分前のハナシになるが、かつて調査会社、GfK Automotive社が調査した米国自動車オーナーが「次に購入したい新車ランキング」というものがあった。これによると、米国男性が指名した首位のクルマが「Porsche 911」、一方、女性の指名首位は「Pontiac G6 Convertible」と、男性がクルマに対して絶対性能の高さやデザインを好む一方で、女性は堅実に車両価格や実用性を重視する傾向が表れたという。
どうやら世の東西を問わず、速く美しいリアルスポーツカーを求める男のわがままは尽きることがないようだ。( 坂上 賢治 / MOTOR CARS の2015-03-31掲載記事を転載 )
では日本が誇るべきリアルスポーツカーとは
そんな我らが日本の誇るリアルスポーツカーといえば、まったくもって無粋過ぎるクーペスタイルでありながら、世界でも超絶級の動力性能を誇る日産GTR。
またはいよいよ市販間近に迫った新NSX、さらに旧いところではトヨタ2000GTあたりかとも思うが、海の向こうの米国では、1台のスポーツカーブランドが、半世紀を超える歴史のなかで根強い人気を保ち続けている。
短命な日本車名とは異なる「愛されブランド」
それは決して懐古趣味などではなく、過酷な生存競争を極めるドラッグレースにおいてもまさに現役。
ノーマル車においても直噴6.2リットルV8は、スーパーチャージャーで過給され、最大出力は650hp/6400rpm、最大トルクは89.8kgm/3600rpm。8速ATにはステアリングホイールにパドルシフトが組み込まれ、0-96km/h加速は7速MTが3.2秒、8速ATが2.95秒。0-400m加速は、7速MTが11.2秒、8速ATが10.95秒と市販スポーツカーとしては世界屈指の性能を誇る。
いやいや、元気さはそれだけではない。昨年2014年、仏ル・マン市のサルテ・サーキットで開催された「ル・マン24時間耐久レース」には、LM GTE Proカテゴリーに最新車ベースの2台が打ち揃い、うちカーナンバー73番の1台が1位と1周差の2位。そもそも同車は過去に7度もの優勝を成し遂げているのであるが、早くも最新型ベースのル・マン挑戦初で表彰台を手中にしている。
「速さ」だけで持てはやさない伝統を重んずる空気
そのクルマとは、前出の映像や写真でご覧頂いた通りで、シボレーブランド傘下のコルベットのことである。同車は先代のC6辺りから車体のコンパクト化を加速。今や世界に数多有るリアルスポーツカーに対抗しうる絶対性能を備えるに至っている。
そもそもコルベットは、スタンフォード大学時時代に「馬なし馬車」の図面を描いて過ごし、後にGMの初代副社長を務めたハーリー・アール(Harley Earl)が、第二次大戦後、若い戦士たちが祖国に持ち帰ってきた欧州車に影響を受け、開発されたクルマと云われている。
同時期に生まれたフォードのサンダーバードと同じく、爽快なオープンエアがを楽しめる欧州風スポーツカーとして誕生した同車は、その後、V8人気の高まりに乗じて、押しも押されぬ本格スポーツカーに育ち、米国人にとってはヨーロッパ的な音の響きを持つ「シボレー」の冠ブランドも相まって大変人気がある。
またご当地米国では、こうした熱狂的とも取れるシボレー車ファンを「ボウタイピープル」と呼んでいるが、この「シボレー」と「ボウタイ」、それは永きに亘って切っても切れない密接な関係がある。
しかし一方で、このボウタイマーク誕生の経緯については、絶対的な裏付けがないまま、今日でも複数の説が唱えられている。
謎に包まれた「ボウタイマーク」誕生の経緯
後にシボレーというブランドを生みだすことになったルイ-ジョセフ・シボレー(Louis Joseh Chevrolet)は、元々はスイス出身だが、幼い頃に移り住んだフランスでエンジニアリングの基礎を学び、樽からワインを抽出するためのポンプを発明したり、自身が設計した自転車でレースに参加するなど、なかなかの活動家だった。
そんな彼が、さらなる活躍の場を求めて高度成長真っ直中のアメリカにやってきて、米国の自動車レースの世界でナンバーワンレーサーの称号を獲るまでには、それほど時間は掛からなかった。
そんな彼に目を付けたのが、現在の巨大自動車メーカーGMの育ての親であり、後に意外な運命を辿ることとなるビリー・デュラント(William Crapo Billy Durant)である。
デュラントは当時人気ナンバーワンのレーサー、シボレーの名声を武器に新ブランド「シボレー」の創設に奔走した。そこで生まれたのがシボレーのシンボルとなったボウタイマークだ。
そのマークの発祥については幾つかの諸説があり、1961年に発行されたシボレー・ストーリー50周年号からなる説のひとつでは、デュラントが1908年、フランスで滞在したホテルの壁紙の一部を「素晴らしいネームプレートになる」と、その壁紙の一片を持ち帰ったいうものがある。
ふたつ目の説は1912年、アメリカ南部バージニアにある温泉ホテルのスイートルームで、ふと眼にした地方新聞の広告に載っていたボウタイマークをデュラントが気に入り「これはシボレーに相応しい紋章になると思うよ」と、妻のW.C.デュラン夫人に語ったという説。
さらに「ある夜、スープとフライドチキンなどが並ぶデュラント家の夕げのテーブル上で、デュラント自身がスケッチしたと思う」と、娘マージョリー・デュラントが1929年に「私の父」で記した説もある。
1986年に刊行されたシボレー・ストーリー75周年記念誌では、こうしたボウタイマーク誕生の秘話について、ビリー・デュラント自身がパリのホテルの話と妻の新聞説の双方を認めたとされている。
これを執筆したシボレー・メディアプロダクションによると「マークの出生がどんな形であれ、ボウタイは今日のシボレーのトレードマークであることに変わりない」と述べたという。
ちなみに1900年当時の南部地方紙を探ると「サザン・コンプレスド石炭会社」が掲載したボウタイ広告が現実に存在していて、そこにはCから始まる「コーレッツ」という9つの文字列のなかで中央のEを大きく強調。何げにそれをフランス風に読ませる工夫をしているなど、ある意味シボレーのボウタイマークと良く似ているものがある。
このコーレッツというのは、小さいとか小型であるという意味の造語だそうで、新聞広告には円の中に「たくさんの熱を作り出す小さな石炭」というスローガンが描かれている。
サザン・コンプレスド石炭会社のマークとの関連性という意味では、デュラントが創生期に造った「リトル・モーター自動車会社」のマークが丸いネームプレートの紋章で、なかに「little」が書き込まれ、内側に「赤く熱する」背景が描かれている。
ちなみにサザンコンプレスド石炭会社がボウタイロゴをこのようにデザインした意図は、一般大衆がこの造語を発音し易くするためだったといわれている。こうしたことを考えると、デュラントはこの発想をヒントに「シェヴ・ロ・レイ」と言う読み方を発明したのかもしれない。
双方の紋章は背景が暗く、白の境界線と白字を使用しており、違いはコーレットの方が流れる様な傾体文字で描かれているのに対して、シボレーの方はローマ調文字で中央の3文字分が若干角張っている。
果たしてデュラントは将来の参考として、サザンコンプレスド石炭会社のマークを新聞から切り取って保存していたのだろうか。今となってはそれを完全に解明する術はないようだ。
その後、シボレーのボウタイマークはブルーにシルバー枠を基調とした立体タイプや、スポーツイメージを強く打ち出した赤いシルエット。ライトトラック用に採用するゴールド基調など多種多様になっている。しかしどれも高いデザイン性と強い訴求力で、シボレーのイメージを高めていることは確かなようだ。