海外からの製品調達を皮切りに、自動車事業が育つ環境の構築へ
――三洋貿易は、旧三井物産の有志が設立した商社という事ですが。
新谷社長 財閥解体がなされた時、三井物産・神戸支店の社員達が新しい会社を興す形で再スタートを切ったのが発祥です。今年で75周年になります。
――当時はどのような素材や製品を主に扱っていたのでしょうか。
新谷社長 神戸支店の人たちが会社を興した訳ですが、〝さて、どうするか〟という事になったので自らの支店の強みを掘り起こしたのですが、まだその頃の段階では〝唯一無二の強み〟を手にしていなった。
そこでまずは彼らが頼ったのが、その当時の米国・ニューヨークに於ける「カスタマーリスト」でした。
後々聞いた話ですが、これが望外に使えるものだったようです。そこで片っ端からコンタクトして猛進した結果、北米の素材関連企業と代理店契約を結ぶ事が出来たのです。
――海外資材関連の取り扱いが始まったと言う事ですね。
新谷社長 その当時、例えば米国にローム・アンド・ハース社という企業がありました。同社は、化学品や農薬を扱う大手の化学品メーカーです。同社とは、いち早く日本向けの総代理店契約を結ぶ事が出来、1950年代前半から事業が動き出しました。
もう一つは、カナダ政府の国策に添った合成ゴムメーカーでポリサー社という企業がありました。我々は同社とも日本向けの総代理店契約を幸運にも結ぶ事が出来た。その二つの商権獲得が実質的な事業のスタートと言えるでしょう。
1950年から60年代と言えば、まだ日本に合成ゴムメーカーが無かった。そこで製品や素材輸入を始めたのです。翻ると今日に於いては、既に数多くが国産化されている分野です。
――輸入した合成ゴムは、タイヤメーカーなどに供給していたのでしょか。
新谷社長 タイヤメーカーを筆頭とする日本資本のゴムメーカーです。供給先の製品としては、確かにタイヤが多かったのですが、それ以外にもホースやOリングなど、供給先は多岐に亘っていました。
――ゴム事業のスタートが、現在の主力である自動車関連事業へと繫がって行くのでしょうか。
新谷社長 ストーリーの詳細を辿ると少し違っています。当社は、まずゴム・化学品の事業が皮切りとなって推移し、それから機械分野などへ業態を拡大しました。それでも今日に於いても化学品が当社の重要事業ではあります。
その化学品の中で、タンニン、いわゆる〝なめし〟がありあますが、それを製品として当社が事業化して供給する事になりました。そこから先は、産業資材事業部で事業開発室を担当する平澤の方が詳しいので本人が紹介します。