元々、日産の苦境をルノーが助けてくれた、不平等条約とは違う
当時、倒産し掛かっていた日産を、ルノーは助けてくれたのです。その後も、ルノーに搾取されてきたという見方があるようですが、それは大株主に還元して来ただけのこと。「ルノーが日産を虐めて来た」みたいに見るのは、如何なものかという事です。
――確かに私も、石原俊さんが社長の頃から日産を長くウオッチしてきましたし、1990年代末に社長だった塙義一さんの苦悩もよく知っています。
1999年3月の塙さんとルイ・シュバイツァー元ルノー会長の両トップの提携会見にも出席して取材しています。
その後、資本提携で派遣されたカルロス・ゴーン元会長が業績をV字回復させた事で〝日産の救世主〟となり、ゴーン氏の長期政権が続いた訳ですが、プロ経営者としての力量が誰しも認めた中で一転して〝逮捕から逃亡〟という結末となりました。いつからゴーン経営は〝変節〟したのでしょうか。
志賀 ▶ 私は2005年にCOOに就任してから13年11月に日産の現役を降りたんですが、ゴーン〝変節〟は2014年頃からではないかと思います。
当時からルノーは4年毎にCEO職を交代するのですが、2018年にゴーンはマクロン仏大統領から「( 会長を )またやってくれ」と言われた頃、ルノー・日産を「世界最大のグループ」にする野心を明確に打ち出してきた。
具体的には、私が日産COOを降りる前の最後のアライアンスコンベンションでゴーンが「巨人を目指す」というスピーチをしました。
おそらく、その頃からゴーンはおかしくなった。規模を追うことがゴーンの野望となった。その後、三菱自動車工業を傘下( 2016年10月 )に収めたのです。
<解説>
筆者が現役記者として取材した中で、20世紀の日本自動車産業をリードしたのは、まさしくT( トヨタ )・N( 日産 )だった。
更に言えば、筆頭代表格はトヨタよりむしろ日産であったが、いわゆる「旧・日産」は、長く抱えていた内部の労使対抗問題などにより、次第にトヨタにリーダーの座を追い上げられ、追い抜かれて、1990年代後半には業績不振で膨大な有利子負債を抱えるに至った。
時の塙義一日産社長は、自力再生の道は困難として外資との提携の道を探った。米フォードや独ダイムラーとも水面下で交渉したが、最終的な資本提携先に選んだのが仏ルノーだった。
その交渉実務を担当していたのが志賀氏で、両社は1999年3月27日、東京・経団連会館で資本提携記者会見を開いた。
その提携内容は、ルノーが6430億円を出資して日産を傘下に収めルノーからCOO、カルロス・ゴーンを派遣するというものだった( 筆者はこの一連の動きをまとめた『トヨタの野望、日産の決断 -日本車の存亡を賭けて- 』を1999年6月にダイヤモンド社から上梓 )。
ゴーン政権は日産のV字回復後も長く継続し、三菱自を傘下に収めて3社トップに君臨した。だが、ゴーンは2018年11月に金融商品取引法違反で逮捕され被告の身となり、2019年12月にはレバノンに逃亡した。2023年2月、ルノー・日産の資本関係はルノーが43パーセント出資を15パーセントに引き下げ双方15パーセントずつの対等となる事で合意した。