実現を目指すも、幻となってしまったV12気筒エンジンの開発プロジェクト
——貴社の事業では、その前のビュート発売も経営上のエポックと思うが。
光岡 確かにビュートで会社の知名度は高まったが、実際にはビュート発売前の段階で既にゼロワンは完成していた。
その経緯は、道路交通法施行規則が改正されたことでゼロハンカー事業を断念した後、米国車の輸入事業を始めるべく訪米したことに始まる。この際、当地で往年の名車を復刻するブームがあって、この人気ぶりに驚いた。私はこれに刺激され、そうしたレプリカ車を大きく凌駕する完成度の高い生産車造りに目覚めた。そこで富山に於いてゼロワンを開発し既に組立車として登録していた。しかし実際にどれだけの台数が売れるかが未知数だったため、発売を躊躇していた。そこで一旦、ゼロワンを眠らせておきビュートの開発に取り掛かった。
——その後ゼロワンを発表し、日本で10番目の自動車メーカーになった。
光岡 ゼロワンは一躍話題を集めクルマ好きのユーザーが歓迎してくれた。ただ爆発的に売れる見込みがなく、クルマを買って下さったお客様だけでなく、製造している我々も仕事としては実に愉しいのだが、あまり儲からない(笑)。そこで次に手掛けたのが一人乗りの「マイクロカー」販売。電動車も造った。搭載したエンジンは完全オリジナル。エンジンを独自で開発する夢を持ち続けてきたので格別の嬉しさがあった。
しかし本当は、これ以前にもパワーユニット製造を目指していた。それはゼロワンのリリース後に独自のスーパーカー販売を計画していたから。既にゼロワン発表後で、有り難いことに自動車に知見を持つエンジニアが社外から集まり始めた時期だったので、社員に指示を出してオリジナルエンジンの基本コンセプトを練り上げ、設計図を書き、V12気筒の木型製作へと計画は進んだ。
ただ本当にV12気筒エンジンが完成していたら光岡自動車が潰れていたかも知れない。当時、お母ちゃん(奥様の幸子夫人)に子供のオモチャを取り上げられる様に「お父ちゃん、もうお金がないから、これで終わり」と言われてしまい夢の日々があっけなく終わってしまった(笑)。
そうした下地があったため、50ccのエンジンなら作り易いと考え、マイクロカーのパワーユニットは内製とした。ただエンジンの金型製造で2億5千万円掛かり、さらにユニット完成に至る総コストは積み上がったが、車両をキットカーとしたものについては32万5千円からの価格帯で販売した。
商売として考えると車両価格は、あと5万円高くても良かったかと考える時もある。ただ当時は、できるだけ廉価に提供することを目指していた。商売人としてそれは間違っているかもしれないが、この姿勢は今も続く光岡自動車のポリシーであり、お客様が我々を支えて下さった理由だと心から感謝している。
ちなみに部品もまだある。今も暖かい時期になると当時の車両を買って下さったお客様からお電話を頂く。弊社の役員からは部品の置き場にコストが掛かると叱られているのだが、お客様が販売車を大事にして下さっているのは有り難い限りだ。役員達からはさらに叱られてしまうと思うが、弊社を支えて下さるお客様に感謝して、いずれは敷地内により大規模な部品倉庫を備えたいと夢見ている。
——その後、EV事業に進出した。
光岡 時代は確実に電動化に進むと見て2010年6月にライク(雷駆)シリーズをリリースした。2012年10月には、短距離・小口配送を需要としたライクT3(雷駆-T3)を発売した。EV研究は弛まず続けており、回生機能で燃費も向上しブレーキライニングの摩耗も少なくなる。細かな車輪制御も出来る。しかも整備性も高いから、今後、動力で動く乗りものは全て電動化するとみている。
だから弊社が次に大蛇(オロチ)を造るならパワーユニットに電動モーターを積みたい。ただそれには資金が必要。従って今は「おくりぐるま」の事業を積み上げていく。
同市場は、国内で約6千台の狭い市場だ。しかし「全てのご家族の心を支えていく」という意味で大切な役割がある。また対象車は大切に扱われる分、車齢が長く故障の可能性も考えられるから、全国に拠点網を持つ弊社がお役に立つ機会がある。そうした意味で我々が果たせる役割があると思っている。ゆえに匠の技を背景に裏方として真摯な気持ちで支えながら、新たな夢の実現にも想いを馳せているところだ。(同コンテンツは、12月4日に書店販売を開始した隔月刊誌「NEXT MOBILITY」からの記事転載となります)