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2024年2月19日【人事】

佐藤琢磨氏、HRCのエグゼクティブ・アドバイザーに就任

坂上 賢治

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ホンダ・レーシング( HRC )は2月19日、これまで世界最高峰レースFIAフォーミュラ・ワン世界選手権(F1)への参戦や、インディアナポリス500マイルレース(インディ500)の2度の制覇など、世界トップカテゴリーで活躍してきた佐藤琢磨氏とアドバイザリー契約を締結。佐藤氏は、HondaとHRCの四輪レース活動全般に於ける助言・サポートを行う「エグゼクティブ・アドバイザー」に就任する。

 

佐藤琢磨氏は、1997年にHondaのドライバー育成プログラムである鈴鹿レーシングスクール(現ホンダ・レーシング・スクール・鈴鹿/HRS)を卒業した後、2001年に英国F3選手権チャンピオンに輝くなどの活躍を見せ、2002年からF1に参戦。2004年のアメリカGPでは3位表彰台を獲得した。

 

その後、2010年よりアメリカのインディカー・シリーズに参戦し、F1モナコGP、ル・マン24時間レースと並ぶ「世界3大レース」のひとつとして知られるインディ500に於いて、日本人では唯一となる2度の優勝を達成した。

 

 

2024年シーズンも、5月26日(日)に開催されるインディ500に、Rahal Letterman Lanigan Racing(レイホール・レターマン・ラニガン・レーシング)より参戦し、3度目のインディ500制覇を目指す。

 

Hondaはこれまで佐藤琢磨氏に、HRSのプリンシパル(校長)としてHondaのドライバー育成に尽力。それに加えて今後は、エグゼクティブ・アドバイザーとして、国内外のドライバー育成戦略やプログラムの策定、レースの参戦計画や運営体制などに助言とサポートを仰ぐという。

 

また、HRCブランドの商品展開の際には、佐藤琢磨氏のトップレーシングドライバーとしての経験と知見を投入し、更なるHRCブランドイメージの向上を目指す。

 

これを受けて佐藤琢磨氏は、「長年に亘って私の〝夢の実現〟を支え、二人三脚で歩んできたHondaとの絆の象徴ともいえる〝HRCエグゼクティブ・アドバイザー〟への就任を心より誇りに思います。

 

私が培ってきた技術と経験を後進に伝えていくことに加えて、自分も〝No Attack, No Chance〟の気持ちを忘れることなく、チャレンジャーとしてHonda/HRCと共に新たな挑戦を続け、さらなるHondaモータースポーツの発展に貢献できるよう努めてまいります」と話している。

 

一方、ホンダ・レーシングの渡辺康治 代表取締役社長は、「レーシングドライバーとして進化を続け栄冠に輝いてきた佐藤琢磨氏を我々HRCのエグゼクティブ・アドバイザーに迎え入れることを大変うれしく思います。

 

佐藤琢磨氏には、これまでもHRSのプリンシパルとして若手ドライバーの育成に大きく貢献していただいておりましたが、今後はHRCのエグゼクティブ・アドバイザーとしてさらに活動の幅を広げ、Hondaのモータースポーツ活動を多角的にサポートしていただけることを心強く思います。

 

また佐藤琢磨氏の魅力は、そのドライビングスキルだけでなく〝勝利を目指しチャレンジし続ける強い信念〟にあると思います。今年もインディ500に果敢に挑戦する姿を称え、3回目のインディ500勝利という金字塔を打ち立ててくれることを心より願い、ファンの皆様とともに精一杯応援したいと思います」と述べている。

 

 

佐藤琢磨氏の主な経歴
1997年:鈴鹿レーシングスクール フォーミュラ(SRS-F)を卒業

2001年
 -英国F3選手権チャンピオン
 - マスターズF3優勝
 - マカオGP優勝

2002年:ジョーダン・ホンダよりF1デビュー2003年:B・A・R ホンダに移籍

2004年:F1 第9戦アメリカGPで3位表彰台

2006年:スーパーアグリ・ホンダに移籍

2010年
 - KVレーシングからインディカー・シリーズに参戦
 - 第94回インディアナポリス500にてインディ500に初挑戦、20位完走

2011年:インディカー・シリーズ第8戦で日本人初のポールポジション獲得

2012年
 - レイホール・レターマン・ラニガン・レーシングに移籍
 - 第4戦サンパウロで自身初の3位表彰台
 - 第96回インディ500にて終盤まで優勝争いを演じるも、惜しくも最終ラップでスピン

2013年
 - AJフォイト・レーシングに移籍
 - 第3戦ロングビーチでインディカー・シリーズ日本人初優勝

2017年
 - アンドレッティ・オートスポーツに移籍
 - 第101回インディ500で日本人初優勝
 - この勝利により内閣総理大臣顕彰受賞

2018年:レイホール・レターマン・ラニガン・レーシングに移籍

2019年
 -鈴鹿レーシングスクール(現ホンダ・レーシング・スクール鈴鹿)プリンシパルに就任
 - 第103回インディ500でトップに約0.3秒及ばず、3位

2020年
 - 第104回インディ500予選で日本人過去最高位となる3位
 - 決勝レースで自身2度目となる優勝

2021年:第105回インディ500で連覇を狙うも、14位。

2022年:デイル・コイン・レーシング・ウィズ・リック・ウェア・レーシングから参戦

2023年:チップ・ガナッシ・レーシングからオーバルコースでのレース5戦に参戦、第107回インディ500は7位

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坂上 賢治

NEXT MOBILITY&MOTOR CARS編集長。日刊自動車新聞を振り出しに自動車産業全域での取材活動を開始。同社の出版局へ移籍して以降は、コンシューマー向け媒体(発行45万部)を筆頭に、日本国内初の自動車環境ビジネス媒体・アフターマーケット事業の専門誌など多様な読者を対象とした創刊誌を手掛けた。独立後は、ビジネス戦略学やマーケティング分野で教鞭を執りつつ、自動車専門誌や一般誌の他、Web媒体などを介したジャーナリスト活動が30年半ば。2015年より自動車情報媒体のMOTOR CARS編集長、2017年より自動車ビジネス誌×WebメディアのNEXT MOBILITY 編集長。

松下次男

1975年日刊自動車新聞社入社。編集局記者として国会担当を皮切りに自動車販売・部品産業など幅広く取材。その後、長野支局長、編集局総合デスク、自動車ビジネス誌MOBI21編集長、出版局長を経て2010年論説委員。2011年から特別編集委員。自動車産業を取り巻く経済展望、環境政策、自動運転等の次世代自動車技術を取材。2016年独立し自動車産業政策を中心に取材・執筆活動中。

間宮 潔

1975年日刊自動車新聞社入社。部品産業をはじめ、自動車販売など幅広く取材。また自動車リサイクル法成立時の電炉業界から解体現場までをルポ。その後、同社の広告営業、新聞販売、印刷部門を担当、2006年に中部支社長、2009年執行役員編集局長に就き、2013年から特別編集委員として輸送分野を担当。2018年春から独立、NEXT MOBILITY誌の編集顧問。

片山 雅美

日刊自動車新聞社で取材活動のスタートを切る。同紙記者を皮切りに社長室支社統括部長を経て、全石連発行の機関紙ぜんせきの取材記者としても活躍。自動車流通から交通インフラ、エネルギー分野に至る幅広い領域で実績を残す。2017年以降は、佃モビリティ総研を拠点に蓄積した取材人脈を糧に執筆活動を展開中。

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(中島南事務所/東京都文京区)1963年・愛知県生まれ。新聞、週刊誌、総合月刊誌記者(月刊文藝春秋)を経て独立。規制改革や行政システムを視点とした社会問題を取材テーマとするジャーナリスト。

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経済誌「財界」で自動車、エネルギー、化学、紙パルプ産業の専任記者を皮切りに報道分野に進出。2000年からは産業界・官界・財界での豊富な人脈を基に経済ジャーナリストとして国内外の経済誌で執筆。近年はビジネス誌、オピニオン誌、経済団体誌、Web媒体等、多様な産業を股に掛けて活動中。

佃 義夫

1970年日刊自動車新聞社入社。編集局記者として自動車全分野を網羅して担当。2000年出版局長として「Mobi21」誌を創刊。取締役、常務、専務主筆・編集局長、代表取締役社長を歴任。2014年に独立し、佃モビリティ総研を開設。自動車関連著書に「トヨタの野望、日産の決断」(ダイヤモンド社)など。執筆活動に加え講演活動も。

熊澤啓三

株式会社アーサメジャープロ エグゼクティブコンサルタント。PR/危機管理コミュニケーションコンサルタント、メディアトレーナー。自動車業界他の大手企業をクライアントに持つ。日産自動車、グローバルPR会社のフライシュマン・ヒラード・ジャパン、エデルマン・ジャパンを経て、2010年にアーサメジャープロを創業。東京大学理学部卒。

福田 俊之

1952年東京生まれ。産業専門紙記者、経済誌編集長を経て、99年に独立。自動車業界を中心に取材、執筆活動中。著書に「最強トヨタの自己改革」(角川書店)、共著に「トヨタ式仕事の教科書」(プレジデント社)、「スズキパワー現場のものづくり」(講談社ピーシー)など。