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2022年8月7日【イベント】

3年振りの鈴鹿8耐、HRCが8年振りの栄冠に酔う

坂上 賢治

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三重県の鈴鹿サーキット(鈴鹿市稲生町)に於いて8月7日、2022FIM世界耐久選手権・第3戦「コカコーラ鈴鹿8時間耐久ロードレース」の第43回大会の決勝レースが開かれ、この日、ホンダワークスのTeam HRC(長島哲太選手/高橋巧選手/イケル・レクオーナ選手)がトータル214周を走破して総合優勝を飾った。HRCの総合優勝は2014年以来、実に8年振り。

 

 

続く2位には、Kawasaki Racing Team Suzuka 8H(レオン・ハスラム選手/アレックス・ロウズ選手/ジョナサン・レイ選手)が、3位にはYoshimura SERT Motul(グレッグ・ブラック選手/渡辺一樹選手)が続いた。

 

新型コロナウイルス感染拡大の影響を受けた事で、実に3年振りの大会開催となった「鈴鹿8耐」。あいにく金~土曜日に掛けての3日間は、不安定な天候不順に翻弄された鈴鹿の国際レーシングコースであったが、幸い決勝日は気温27度のドライコンディションに恵まれた。

 

11時30分開始のル・マン式スタート(グランドスタンド側からピットウォール側に置かれたマシンに駆け寄る)でホールショットを獲ったのは、F.C.C. TSR Honda France(TSRホンダ)のジョシュ・フック選手。これにTeam HRCの高橋巧選手、Kawasaki Racing Team Suzuka 8H(カワサキ8H)のレオン・ハスラム選手が続いた。

 

 

レースは、2周目に入ったスプーンカーブの立ち上がりで作本輝介選手(Astemo Honda Dream SI Racing)が、直前を走っていた浦本修充選手(SDG Honda Racing)を巻き込んで転倒。このアクシデントで早くもセーフティカー(SC)が導入される。

 

 

その後のリスタートで22番グリッドからスタートしていたヨシムラSERT Motulのグレッグ・ブラック選手がスルスルと上位集団へ踏み込んでく。そうした流れのなかでTeam Suzuka HRCの高橋選手がF.C.C. TSR Honda Franceをオーバーテイク。しかし程なく先のヨシムラSERT Motulがこれをパスしてトップに立った。

 

しかし程なくヨシムラSERT Motulは3番手に後退。Team Suzuka HRCがカワサキ8Hと抜きつ抜かれつのシーソーゲームを繰り返した。

 

その後、各車が1回目のピットを消化した頃には、Team Suzuka HRCが安定的首位を固め始めた。これを追うのは2番手のカワサキ8H。YART-YAMAHA OFFICIAL TEAM EWC(YARTヤマハ)がカワサキ8Hに次ぐ3番手に付けた。

 

 

レースは、初旬を過ぎた頃に再びSCが導入される。これが結果的にTeam Suzuka HRCに有利に働き、2番手に付けたカワサキ8Hとの距離を広げる事に成功した。これに負けじとカワサキ8Hを駆るジョナサン・レイ選手が車両に鞭を入れ、Team Suzuka HRCを追い始める。

 

しかしレースが中盤に差し掛かる3時間50分を迎えた時、カワサキ8Hのレイ選手が200Rシケインで転倒。折角、距離を縮めつつあったTeam Suzuka HRCとのギャップが拡大してしまう。

 

こうして単独トップの立ち位置で自身を有利に運ぶTeam Suzuka HRCは、追い縋る2番手以下をラップ遅れにする勢いでレースは7時間を迎える。その頃2位を走っていたYARTヤマハは、事前のタイヤトラブルで不必要なピットストップ時間を消費してしまった上に、コース上に於けるスプーンの立ち上がりでAKENO SPEED・YAMAHAと共にクラッシュした。

 

 

それでもなんとかピットに辿り着いたYARTヤマハは、短時間でマシンを修復して送り出す離れ業を演じたのだが、先頭集団を走るトップチームにはやはり1歩及ばす。YARTヤマハが目指しつつあったポディウムの夢は潰えてしまう。

 

結果、ほぼ終始、出走車両の開発にも携わった長島選手のライディングでTeam Suzuka HRCは首位一人旅を続ける。これをヨシムラSERT Motulが追従する布陣でレースは消化されて行く。

 

18時51分に日没を迎え、レーシングコース全体が次第に暗闇に包まれる中でレースは最終盤に突入。19時30分で8時間目を迎えたTeam Suzuka HRCが首位を守ってチェッカーを潜る。1982年創立のHRC(ホンダ・レーシング)の40周年目の記念の年に優勝の栄冠の勝ち取った。

 

 

2位にはレース序盤からTeam Suzuka HRCとトップ争いを繰り広げたカワサキ8Hが1周差で続き、3位はシルバン・ギュントーリの突如の欠場で、残りのグレッグ・ブラック選手/渡辺一樹選手のふたりだけで過酷な鈴鹿の夏を戦ったヨシムラSERT Motulが入った。

 

4位はS-PULSE DREAM RACING・ITEC(生形秀之選手/渥美心選手/津田拓也選手)、5位はTOHO Racing(清成龍一選手/國川浩道選手/國峰啄磨選手)、6位はHonda Dream RT SAKURAI HONDA(濱原颯道選手/日浦大治朗選手/國井勇輝選手)、7位は終盤のクラッシュから素早いマシン修復を果たして耐久レースの戦い方を示したYART-YAMAHA OFFICIAL TEAM EWC(マービン・フリッツ選手/ニッコロ・カネパ選手/カレル・ハニカ選手)。

 

8位はTeam ATJ with JAPAN POST(高橋裕紀選手/伊藤和輝選手/小山知良選手)、9位はTEAM KODAMA(児玉勇太選手/長尾健史選手/長尾健吾選手)、10位はF.C.C. TSR Honda France(ジョシュ・フック選手/マイク・ディ・メリオ選手)と続き出走45台中44台がチェッカーを受けた。

 

 

唯一のリタイアは、今季の耐久シリーズを好位置で戦い続けてきたBMW MOTORRAD WORLD ENDURANCE TEAMとなった。

 

 

日本のみならず世界規模で鈴鹿8耐は、毎年夏に行なわれるバイクの祭典として長年親しまれてきた。その歴史は1978年の開催を皮切りに実に44年の歴史を誇る。しかし2019年を最後に、ここ2年間は新型コロナウイルスのパンデミックにより中止が続いた。

 

 

そして今年、決勝が行なわれた8月7日(日)に至る4日間に於いて、鈴鹿サーキットは44,000人の観客動員数を記録した。なお決勝前の予選セッションでは、先の#33のTeam Suzuka HRC(長島哲太選手)が誰もが驚く2分4秒934のアタックタイムを刻んでいる。

 

 

加えて決勝スタート前の7日には、今回の鈴鹿8耐限りで引退を決めた青木宣篤選手の引退セレモニーで、青木3兄弟(拓磨選手、治親選手)がパレードランを実施した。

 

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坂上 賢治

NEXT MOBILITY&MOTOR CARS編集長。日刊自動車新聞を振り出しに自動車産業全域での取材活動を開始。同社の出版局へ移籍して以降は、コンシューマー向け媒体(発行45万部)を筆頭に、日本国内初の自動車環境ビジネス媒体・アフターマーケット事業の専門誌など多様な読者を対象とした創刊誌を手掛けた。独立後は、ビジネス戦略学やマーケティング分野で教鞭を執りつつ、自動車専門誌や一般誌の他、Web媒体などを介したジャーナリスト活動が30年半ば。2015年より自動車情報媒体のMOTOR CARS編集長、2017年より自動車ビジネス誌×WebメディアのNEXT MOBILITY 編集長。

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1975年日刊自動車新聞社入社。編集局記者として国会担当を皮切りに自動車販売・部品産業など幅広く取材。その後、長野支局長、編集局総合デスク、自動車ビジネス誌MOBI21編集長、出版局長を経て2010年論説委員。2011年から特別編集委員。自動車産業を取り巻く経済展望、環境政策、自動運転等の次世代自動車技術を取材。2016年独立し自動車産業政策を中心に取材・執筆活動中。

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1975年日刊自動車新聞社入社。部品産業をはじめ、自動車販売など幅広く取材。また自動車リサイクル法成立時の電炉業界から解体現場までをルポ。その後、同社の広告営業、新聞販売、印刷部門を担当、2006年に中部支社長、2009年執行役員編集局長に就き、2013年から特別編集委員として輸送分野を担当。2018年春から独立、NEXT MOBILITY誌の編集顧問。

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日刊自動車新聞社で取材活動のスタートを切る。同紙記者を皮切りに社長室支社統括部長を経て、全石連発行の機関紙ぜんせきの取材記者としても活躍。自動車流通から交通インフラ、エネルギー分野に至る幅広い領域で実績を残す。2017年以降は、佃モビリティ総研を拠点に蓄積した取材人脈を糧に執筆活動を展開中。

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(中島南事務所/東京都文京区)1963年・愛知県生まれ。新聞、週刊誌、総合月刊誌記者(月刊文藝春秋)を経て独立。規制改革や行政システムを視点とした社会問題を取材テーマとするジャーナリスト。

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経済誌「財界」で自動車、エネルギー、化学、紙パルプ産業の専任記者を皮切りに報道分野に進出。2000年からは産業界・官界・財界での豊富な人脈を基に経済ジャーナリストとして国内外の経済誌で執筆。近年はビジネス誌、オピニオン誌、経済団体誌、Web媒体等、多様な産業を股に掛けて活動中。

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1970年日刊自動車新聞社入社。編集局記者として自動車全分野を網羅して担当。2000年出版局長として「Mobi21」誌を創刊。取締役、常務、専務主筆・編集局長、代表取締役社長を歴任。2014年に独立し、佃モビリティ総研を開設。自動車関連著書に「トヨタの野望、日産の決断」(ダイヤモンド社)など。執筆活動に加え講演活動も。

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株式会社アーサメジャープロ エグゼクティブコンサルタント。PR/危機管理コミュニケーションコンサルタント、メディアトレーナー。自動車業界他の大手企業をクライアントに持つ。日産自動車、グローバルPR会社のフライシュマン・ヒラード・ジャパン、エデルマン・ジャパンを経て、2010年にアーサメジャープロを創業。東京大学理学部卒。

福田 俊之

1952年東京生まれ。産業専門紙記者、経済誌編集長を経て、99年に独立。自動車業界を中心に取材、執筆活動中。著書に「最強トヨタの自己改革」(角川書店)、共著に「トヨタ式仕事の教科書」(プレジデント社)、「スズキパワー現場のものづくり」(講談社ピーシー)など。