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2024年12月27日【訃報】

スズキ元会長で相談役の鈴木修氏、浜松市の病院で逝去94歳

坂上 賢治

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浜松市に本社を置くスズキの相談役、鈴木修氏( すずき・おさむ )が12月25日( 午後3時53分 )に悪性リンパ腫のため浜松市の病院で逝去した( 同社27日発表 / 享年94才 )。葬儀は、長男で社長の俊宏氏( としひろ )を喪主とし近親者で済ませた。後日、お別れの会を行うとしているが、具体的な日取りなどは未定だ。

 

鈴木修氏は、2015年に社長職を俊宏氏に譲った後も、会長としてスズキの将来戦略では陣頭指揮を執り続けた。最終的に会長職を退任し、相談役となったのは2021年6月。経営の第一線から退いた後も財界のみならず、政治や文化などの方面で精力的に活動を続けていた。

 

また一貫して自らを「中小企業のおやじ」と称し、自社ブランド車を取り扱う個々の販売会社にも足繁く通い、現場の声を真摯に聞くその姿勢から、経営者の夫人達からの絶大な信頼を獲得。その気さくな人柄でファンも多かった。

 

そんな鈴木修氏は、1930年・岐阜県益田郡下呂町( 現・下呂市 )で生まれ、中央大学卒から銀行勤務を経て、2代目社長の鈴木俊三氏の娘婿となった1958年に鈴木自動車工業に入社。1963年に取締役、1967年に常務、1973年に専務を経て1978年に( 前身の鈴木自動車工業 )社長に就任した。

 

その翌年、1979年に当時としても破格( 当時の軽乗用車価格は60万円台が一般的 )の47万円の新型軽自動車アルトを開発・発表。その後、同戦略に競合メーカーも追従し、日本国内に於ける軽ボンネットバンブームを主導した。更に1993年には、トールボディのワゴンRを発表、現在に至る軽ミニバン時代も牽引した。なお2000年に一旦、会長職になったのだが突発的な経営陣の交替があって、2008年には再び社長を兼務した。

 

この間、生涯を通して現場にこだわるリーダーシップを発揮。クルマづくりも、会社経営も、徹底してムダを省く戦術を実践。こうしたコスト削減の取り組みは、後に「小・少・軽・短・美」という行動理念を生み、スズキを大きく飛躍させる原動力となった。

 

結果、社長就任時に売上高3232億円だったスズキを40年間にわたって経営を主導。日本国内の軽自動車メーカーを代表する地位を固めただけなく、1983年には日本メーカーとしては唯一、インド進出のチャンスを掴み販売シェアトップ(占有率・約4割超)を獲得、自動車メーカーとして世界的有数の3兆円企業へと育て上げ、2024年3月期の連結売上高は5兆円を超えている。

 

国際的な企業連携では、米ゼネラルモーターズや独フォルクスワーゲンとの提携・提携解消などを経て晩年、トヨタ自動車との連携を深めた。2017年にトヨタ自動車と業務提携を発表。その2019年には資本提携にまで発展させて電動化への対応などの道筋を敷いた。

 

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略歴(敬称略)
氏名:鈴木修(すずき おさむ)

 

生年月日:昭和5(1930)年1月30日
現住所:静岡県浜松市(出身:岐阜県)
最終学歴:昭和28(1953)年3月:中央大学 法学部 卒業

 

職歴

昭和33(1958)年4月:鈴木自動車工業株式会社入社
昭和38(1963)年11月:同社 取締役 就任
昭和42(1967)年12月:同社 常務取締役 就任
昭和48(1973)年11月:同社 専務取締役 就任
昭和53(1978)年6月:同社 取締役社長 就任
平成2(1990)年10月:スズキ株式会社に社名変更
平成12(2000)年6月:同社 取締役会長 就任
平成20(2008)年12月:同社 取締役社長兼務
平成27(2016)年6月:同社 取締役会長 就任
令和3(2021)年6月:同社 相談役 就任

 

賞罰

昭和60(1985)年3月:スターラ・イ・パキスタン章 受章
昭和62(1987)年11月:藍綬褒章 受章
平成5(1993)年5月:ハンガリー中十字勲章 受章
平成12(2000)年5月:勲二等旭日重光章 受章
平成14(2002)年11月:日本自動車殿堂入
平成16(2004)年5月:ハンガリー星付中十字勲章 受章
平成19(2007)年3月:インド パドマ・ブーシャン勲章 受章
令和2(2020)年3月:ハンガリー大十字功労勲章 受章

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坂上 賢治

NEXT MOBILITY&MOTOR CARS編集長。日刊自動車新聞を振り出しに自動車産業全域での取材活動を開始。同社の出版局へ移籍して以降は、コンシューマー向け媒体(発行45万部)を筆頭に、日本国内初の自動車環境ビジネス媒体・アフターマーケット事業の専門誌など多様な読者を対象とした創刊誌を手掛けた。独立後は、ビジネス戦略学やマーケティング分野で教鞭を執りつつ、自動車専門誌や一般誌の他、Web媒体などを介したジャーナリスト活動が30年半ば。2015年より自動車情報媒体のMOTOR CARS編集長、2017年より自動車ビジネス誌×WebメディアのNEXT MOBILITY 編集長。

松下次男

1975年日刊自動車新聞社入社。編集局記者として国会担当を皮切りに自動車販売・部品産業など幅広く取材。その後、長野支局長、編集局総合デスク、自動車ビジネス誌MOBI21編集長、出版局長を経て2010年論説委員。2011年から特別編集委員。自動車産業を取り巻く経済展望、環境政策、自動運転等の次世代自動車技術を取材。2016年独立し自動車産業政策を中心に取材・執筆活動中。

間宮 潔

1975年日刊自動車新聞社入社。部品産業をはじめ、自動車販売など幅広く取材。また自動車リサイクル法成立時の電炉業界から解体現場までをルポ。その後、同社の広告営業、新聞販売、印刷部門を担当、2006年に中部支社長、2009年執行役員編集局長に就き、2013年から特別編集委員として輸送分野を担当。2018年春から独立、NEXT MOBILITY誌の編集顧問。

片山 雅美

日刊自動車新聞社で取材活動のスタートを切る。同紙記者を皮切りに社長室支社統括部長を経て、全石連発行の機関紙ぜんせきの取材記者としても活躍。自動車流通から交通インフラ、エネルギー分野に至る幅広い領域で実績を残す。2017年以降は、佃モビリティ総研を拠点に蓄積した取材人脈を糧に執筆活動を展開中。

中島みなみ

(中島南事務所/東京都文京区)1963年・愛知県生まれ。新聞、週刊誌、総合月刊誌記者(月刊文藝春秋)を経て独立。規制改革や行政システムを視点とした社会問題を取材テーマとするジャーナリスト。

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経済誌「財界」で自動車、エネルギー、化学、紙パルプ産業の専任記者を皮切りに報道分野に進出。2000年からは産業界・官界・財界での豊富な人脈を基に経済ジャーナリストとして国内外の経済誌で執筆。近年はビジネス誌、オピニオン誌、経済団体誌、Web媒体等、多様な産業を股に掛けて活動中。

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1970年日刊自動車新聞社入社。編集局記者として自動車全分野を網羅して担当。2000年出版局長として「Mobi21」誌を創刊。取締役、常務、専務主筆・編集局長、代表取締役社長を歴任。2014年に独立し、佃モビリティ総研を開設。自動車関連著書に「トヨタの野望、日産の決断」(ダイヤモンド社)など。執筆活動に加え講演活動も。

熊澤啓三

株式会社アーサメジャープロ エグゼクティブコンサルタント。PR/危機管理コミュニケーションコンサルタント、メディアトレーナー。自動車業界他の大手企業をクライアントに持つ。日産自動車、グローバルPR会社のフライシュマン・ヒラード・ジャパン、エデルマン・ジャパンを経て、2010年にアーサメジャープロを創業。東京大学理学部卒。

福田 俊之

1952年東京生まれ。産業専門紙記者、経済誌編集長を経て、99年に独立。自動車業界を中心に取材、執筆活動中。著書に「最強トヨタの自己改革」(角川書店)、共著に「トヨタ式仕事の教科書」(プレジデント社)、「スズキパワー現場のものづくり」(講談社ピーシー)など。