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2017年11月6日【経済・社会】

独ポルシェ、ペーター・シュッツ氏の逝去を受け哀悼の意を表明

NEXT MOBILITY編集部

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ドイツ・ポルシェは、元最高経営責任者のペーター・シュッツ氏(Peter W. Schutz)が10月29日に逝去(享年87歳)したことを受け、11月6日、哀悼の意を表明した。

 

ポルシェは、「伝説の名車となった911の価値を維持しただけでなく、911カブリオレの北米市場への投入を成功させたペーター・シュッツに感謝の意を表します。」とコメントしている。

 

ポルシェ・ロゴ

 

1980年にポルシェが初めて赤字に転落したことを背景に、1981年1月、シュッツはポルシェの最高経営責任者に就任、就任3週目にして911の製造調整の見直しを決定したと云う。

 

ポルシェ曰く、「その判断の正しさは、50年以上の歴史をもつ911が比類なきスポーツカーとして地位を確立していることからも窺い知ることができます。911はポルシェのフラッグシップモデルとして世界中のファンを魅了し続け、他のスポーツカーと一線を画す存在となっています。」と振り返る。

 

シュッツ氏は、戦略的再編を断行しただけでなく、911カブリオレの導入に続き、944ターボ、944 S、944 S2とそのカブリオレバージョンを発表、トランスアクスルの一時代を築くなど、ポルシェのモデルラインナップの拡充にも力を注いだ。

 

1982年のル・マンでは、ほぼすべてのクラスにおいて1位から5位までを独占、新記録を打ち立るなど、モータースポーツにおいても実績を残した。

 

1985年にはフランクフルトモーターショーで911の後継車となる959を発表するなどした。

 

 

シュッツ氏はまた、売上を3倍に伸ばして経営を黒字復帰に導き、その後5年の間、ポルシェは右肩上がりの成長を続けた。しかし、1980年後半の経済危機の影響を受け、80年代の好調な業績は終焉。対米輸出の減少に伴う北米での販売不振が経営に響き、1987年、シュッツ氏はその責任を取って、最高経営者としての職を退いた。

 

その後、翌1988年に米国フロリダ州ネイプルズに戻り、逝去するまでこの地で過ごしたと云う。

 

そして、ペーター・シュッツ氏は妻と1人の娘、2人の息子を残し、生涯の幕を下ろした。

 

 

※最後に、編集部より、ペーター・シュッツ氏のご逝去を悼み、心からのご冥福をお祈り申し上げます。

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坂上 賢治

NEXT MOBILITY&MOTOR CARS編集長。日刊自動車新聞を振り出しに自動車産業全域での取材活動を開始。同社の出版局へ移籍して以降は、コンシューマー向け媒体(発行45万部)を筆頭に、日本国内初の自動車環境ビジネス媒体・アフターマーケット事業の専門誌など多様な読者を対象とした創刊誌を手掛けた。独立後は、ビジネス戦略学やマーケティング分野で教鞭を執りつつ、自動車専門誌や一般誌の他、Web媒体などを介したジャーナリスト活動が30年半ば。2015年より自動車情報媒体のMOTOR CARS編集長、2017年より自動車ビジネス誌×WebメディアのNEXT MOBILITY 編集長。

松下次男

1975年日刊自動車新聞社入社。編集局記者として国会担当を皮切りに自動車販売・部品産業など幅広く取材。その後、長野支局長、編集局総合デスク、自動車ビジネス誌MOBI21編集長、出版局長を経て2010年論説委員。2011年から特別編集委員。自動車産業を取り巻く経済展望、環境政策、自動運転等の次世代自動車技術を取材。2016年独立し自動車産業政策を中心に取材・執筆活動中。

間宮 潔

1975年日刊自動車新聞社入社。部品産業をはじめ、自動車販売など幅広く取材。また自動車リサイクル法成立時の電炉業界から解体現場までをルポ。その後、同社の広告営業、新聞販売、印刷部門を担当、2006年に中部支社長、2009年執行役員編集局長に就き、2013年から特別編集委員として輸送分野を担当。2018年春から独立、NEXT MOBILITY誌の編集顧問。

片山 雅美

日刊自動車新聞社で取材活動のスタートを切る。同紙記者を皮切りに社長室支社統括部長を経て、全石連発行の機関紙ぜんせきの取材記者としても活躍。自動車流通から交通インフラ、エネルギー分野に至る幅広い領域で実績を残す。2017年以降は、佃モビリティ総研を拠点に蓄積した取材人脈を糧に執筆活動を展開中。

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(中島南事務所/東京都文京区)1963年・愛知県生まれ。新聞、週刊誌、総合月刊誌記者(月刊文藝春秋)を経て独立。規制改革や行政システムを視点とした社会問題を取材テーマとするジャーナリスト。

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経済誌「財界」で自動車、エネルギー、化学、紙パルプ産業の専任記者を皮切りに報道分野に進出。2000年からは産業界・官界・財界での豊富な人脈を基に経済ジャーナリストとして国内外の経済誌で執筆。近年はビジネス誌、オピニオン誌、経済団体誌、Web媒体等、多様な産業を股に掛けて活動中。

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1970年日刊自動車新聞社入社。編集局記者として自動車全分野を網羅して担当。2000年出版局長として「Mobi21」誌を創刊。取締役、常務、専務主筆・編集局長、代表取締役社長を歴任。2014年に独立し、佃モビリティ総研を開設。自動車関連著書に「トヨタの野望、日産の決断」(ダイヤモンド社)など。執筆活動に加え講演活動も。

熊澤啓三

株式会社アーサメジャープロ エグゼクティブコンサルタント。PR/危機管理コミュニケーションコンサルタント、メディアトレーナー。自動車業界他の大手企業をクライアントに持つ。日産自動車、グローバルPR会社のフライシュマン・ヒラード・ジャパン、エデルマン・ジャパンを経て、2010年にアーサメジャープロを創業。東京大学理学部卒。

福田 俊之

1952年東京生まれ。産業専門紙記者、経済誌編集長を経て、99年に独立。自動車業界を中心に取材、執筆活動中。著書に「最強トヨタの自己改革」(角川書店)、共著に「トヨタ式仕事の教科書」(プレジデント社)、「スズキパワー現場のものづくり」(講談社ピーシー)など。