ドイツ・ポルシェは、元最高経営責任者のペーター・シュッツ氏(Peter W. Schutz)が10月29日に逝去(享年87歳)したことを受け、11月6日、哀悼の意を表明した。
ポルシェは、「伝説の名車となった911の価値を維持しただけでなく、911カブリオレの北米市場への投入を成功させたペーター・シュッツに感謝の意を表します。」とコメントしている。
1980年にポルシェが初めて赤字に転落したことを背景に、1981年1月、シュッツはポルシェの最高経営責任者に就任、就任3週目にして911の製造調整の見直しを決定したと云う。
ポルシェ曰く、「その判断の正しさは、50年以上の歴史をもつ911が比類なきスポーツカーとして地位を確立していることからも窺い知ることができます。911はポルシェのフラッグシップモデルとして世界中のファンを魅了し続け、他のスポーツカーと一線を画す存在となっています。」と振り返る。
シュッツ氏は、戦略的再編を断行しただけでなく、911カブリオレの導入に続き、944ターボ、944 S、944 S2とそのカブリオレバージョンを発表、トランスアクスルの一時代を築くなど、ポルシェのモデルラインナップの拡充にも力を注いだ。
1982年のル・マンでは、ほぼすべてのクラスにおいて1位から5位までを独占、新記録を打ち立るなど、モータースポーツにおいても実績を残した。
1985年にはフランクフルトモーターショーで911の後継車となる959を発表するなどした。
シュッツ氏はまた、売上を3倍に伸ばして経営を黒字復帰に導き、その後5年の間、ポルシェは右肩上がりの成長を続けた。しかし、1980年後半の経済危機の影響を受け、80年代の好調な業績は終焉。対米輸出の減少に伴う北米での販売不振が経営に響き、1987年、シュッツ氏はその責任を取って、最高経営者としての職を退いた。
その後、翌1988年に米国フロリダ州ネイプルズに戻り、逝去するまでこの地で過ごしたと云う。
そして、ペーター・シュッツ氏は妻と1人の娘、2人の息子を残し、生涯の幕を下ろした。
※最後に、編集部より、ペーター・シュッツ氏のご逝去を悼み、心からのご冥福をお祈り申し上げます。