NEXT MOBILITY

MENU

2021年12月17日【イベント】

トヨタの「MEGA WEB(メガウェブ)」22年の足跡を残して閉館

間宮 潔

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

 

トヨタ自動車が東京・お台場に体験型テーマパーク「MEGA WEB」(メガウェブ)を開設して22年、その使命を終え、この12月末に幕を閉じる。併せて森ビルを中心に事業展開してきた複合施設パレットタウンの中核を担う施設だった商業施設(ヴィーナスフォート)や、ライブハウス(Zepp Tokyo)、大観覧車などの営業も順次終える。

 

施設の跡地には、トヨタグループ会社の東和不動産が手掛ける大型複合アリーナ(2025年6月竣工予定)が建設される。また御殿場には、来秋開業予定で富士モータースポーツミュージアム(富士スピードウェイホテル併設)が始動するなど、メガウェブが紡いできた夢は形を変え、これらの施設に引き継がれていく。(佃モビリティ総研・間宮 潔)

 

メガウェブの運営会社「アムラックストヨタ」の田中均社長

 

施設跡地には大型のアリーナ施設が開業へ

 

メガウェブは1999年3月、「見て、乗って、感じる」をコンセプトにオープン、以来、トヨタ車のファンづくりに大きく貢献した。累計の来場者数は1億2667万人(3月末)を超え、日本の人口規模に並んでいる。
この12月の閉館迄は感染予防に細心の注意を払いつつ「メガウェブ22年の歩み」や、先進の電動技術展示など特別企画を準備、スタッフ一同、知恵を絞る。

 

 

その一環として12月16日の木曜日から20日の月曜日迄(予定)は、施設2階のトヨタ・シティショウケースで、先に記者発表が行われた「バッテリーEV(BEV)戦略に関する説明会」で披露したBEV車両の展示も行う。

 

メガウェブ運営を担うアムラックストヨタの田中均社長は、「今年はコロナ禍で施設休館が続き、わずか2か月半しか開館できなかったが、最後の12月は、しっかりお客様を迎えていきたい」とコメント。また閉館は予てからの計画に沿ったものであり、コロナ禍の影響を受けての閉館でない事も強調した。

 

いつの時代もトヨタの先進技術を強く印象づける施設に

 

そもそもメガウェブは、ゆりかもめ・青海駅直結で、隣の駅は東京モーターショーの会場となる東京ビッグサイトを控える好立地の施設。今年開催予定だった東京モーターショーは中止となったが、2019年のショー開催ではメガウェブとの連動が話題になり、トヨタの先進テクノロジーを強く印象づけた。

 

そんなメガウェブは当初、2008年迄の10年契約の中で施設利用が計画された。その後、東京都側の要請に応じ数次、利用を延長した経緯がある。古くは、世界都市博(1996年)の中止、臨海副都心開発の計画見直しの中で提案されたプロジェクトといっていい。

 

そんなMEGA WEBでは、12月16日(木)~20日(月)までの予定で、同施設のトヨタ・シティショウケース2階に於いて「バッテリーEV(BEV)戦略に関する説明会」で披露した車両展示を展開。(写真中の一部車両は除く)展示車に触れることはできないが、話題の16台を間近で見られる貴重な機会となる。さらに18日から閉館までは、世界耐久に参戦したTS050 HYBRID(車両ナンバー8)やPETRONAS TOM’S SC430(車両ナンバー36)を含む計4台をパネルと共に「TGRドライバー 中嶋一貴の軌跡 ~2012-2021~」展示も行っている。

 

アムラックス東京から始まったトヨタ常設展事場の歴史

 

一方、運営会社のアムラックストヨタは、メガウェブの設置に先立つ1990年9月、東京・東池袋に開設された「トヨタ オートサロン アムラックス東京(新たに建設された地下3階・地上14階の複合ビル内の、地下2階から地上5階迄の7フロアで展開された)」を契機に設立された事業会社だ。

 

 

当時、5チャンネルの販売網をもつトヨタ国内営業部門にとって、5チャンネル全ての車種を一堂に集め、見比べる常設展事場が無かった事から建設が計画されたもの。アムラックス東京は2013年12月にクローズ。その役割を果たした。また同様に大阪では梅田のOSビルに「アムラックス大阪(1993年7月に開設〜2003年6月にクローズ)」も設置された。

 

現在「メガウェブ」は、田中社長以下アムラックストヨタの24人の社員と、トヨタエンタープライズなどに所属する150~200人のスタッフによって運営される。閉館に伴い、出向者らは原籍に復帰するなど新たな進路を歩む。運営会社のアムラックストヨタは、来春に清算される予定だ。初代の金子社長、二代の辻社長は共にトヨタ自動車の国内営業担当役員が兼務で務めた。その後、専任社長に引き継がれ、田中社長で8代目を数える。

 

広大な展示施設に自動車の世界を巡る夢を詰め込む

 

メガウェブは、パレットタウンの約3分の1を占める2万4000平方メートルの敷地を使い、大きく3つの施設とライドワンと呼ぶ周回1300メートルの試乗コースを持つ。

 

 

このうちメインとなる「トヨタシティショーケース」では、水素自動車である「MIRAI」を始め、先進のプラグインハイブリッド車や電気自動車などを展示。1階のスペースでは、中国合弁の最新モデルである一汽トヨタの「IZOA」、広汽トヨタの「C―HR」が展示される。さらにPHV「双撃」のカットモデルも展示されている(いずれも12月初旬の取材時)。

 

同写真の車両は、メガウェブ(アムラックストヨタ)のエイブル・アート支援に係る取り組みの一環

 

1階奥には「メガウェブ22年の歩み」コーナーが設けられ、年次毎に出来事が記されている。2階のスポーツゾーンでは、ロボットを使ってのバスケットシュート体験コーナーがあり、子供が角度調整に興じるなど、2025年開業予定のアリーナ建設に繫がる展示を行なう。
また現在、改修中のテクノロジーゾーンでは電動車両を中心とした最新技術を披露、環境車両開発へのトヨタの本気度を示し、有終の美を飾る予定だ。

 

 

トヨタシティショーケースに隣接する「ライドスタジオ」は、かつてジェットコースターのアトラクション施設として利用していた。その後、子供向けのミニカー試乗コーナーとして衣替えされている。ここでは子供達の夢を育む「運転できる」電気自動車はもちろん、水素燃料を使ったミニバスも用意され、いずれも本物そっくりの技術システムと車体構造が用いられているため、親子揃って愉しめる。

 

 

さらにメイン施設から少し離れた商業施設の「ヴィーナスフォート」の奥には、トヨタ車に関わらず広く往年の名車を展示する「ヒストリーガレージ」が設けられている。

 

 

現在は、イラストレーターの松山孝司氏が描くニューヨーク・パリ・英国・イタリアなど街並みに溶け込んで、その地域・国を代表するクルマや乗り物を描いて見せる。大判のイラスト画の側には、本物のビンテージ車が展示され、絵からその名車を探し出す趣向が楽しい。トヨタの主力工場である元町工場の建設60周年を記念したイラスト画も含め計10点が閉館を彩る。

 

 

今後は御殿場のモータースポーツビレッジなどに夢が引き継がれる

 

ヒストリーガレージの一角には、2017年のWRC参戦を記念したモータースポーツコーナーが設けられ、2022年秋開業予定の富士スピードウェイ(御殿場)併設の「モータースポーツビレッジ」を紹介する。客室120室を備える建設中の富士スピードウェイホテルや、その建屋の低層階に設けられる予定の「富士モータースポーツミュージアム」の情報発信が行われている。

 

 

またヒストリーガレージに現在展示されている名車(約50台)の数々は、メガウェブ閉館後にトヨタ博物館に集約される見込みで、その中でもモータースポーツ関連の車両は、新設の富士モータースポーツミュージアムに吸収されるとみられる。
そのヒストリーガレージの目玉は、何といっても1964年の第1回東京オリンピック開催を記念した昭和39年当時の銀座の街並みと当時走っていた国産車や輸入車を展示して見せている展示だ。シニア世代はここに来れば、懐かしの一台に出逢える。

 

 

もう一つの人気コーナーは、ヒストリーガレージに併設の板金・塗装工場を見る事ができる展示施設だ。ピットには現在、修復中の1964年式ムスタングと、珍しいディーノ246GTSが入庫している。修復は、トヨペットサービスセンター時代からのベテランエンジニアが手掛ける。動態保存が基本で、全て走行が可能だ。

 

なおクルマ好きにはたまらない工場見学タイムも用意されている。運転席に乗り、エンジンの爆音、振動を体感できる。レストア責任者の青木繁義エンジニアは閉館を残念がるも、その思いをレストア最後の一台にぶつける気概を見せた。

 

 

2014年、トヨタ自動車からアムラックストヨタに移籍、2016年から社長を務める田中社長にとっても、気になる一台がある。それは当時メガウェブにありそうでなかった初代プリウスを探したことだ。こうした歴史的なクルマ、ビンテージな名車の行方に、トヨタファンならずとも関心が高まっている。

 

Closure Notification of MEGA WEB

CLOSE

坂上 賢治

NEXT MOBILITY&MOTOR CARS編集長。日刊自動車新聞を振り出しに自動車産業全域での取材活動を開始。同社の出版局へ移籍して以降は、コンシューマー向け媒体(発行45万部)を筆頭に、日本国内初の自動車環境ビジネス媒体・アフターマーケット事業の専門誌など多様な読者を対象とした創刊誌を手掛けた。独立後は、ビジネス戦略学やマーケティング分野で教鞭を執りつつ、自動車専門誌や一般誌の他、Web媒体などを介したジャーナリスト活動が30年半ば。2015年より自動車情報媒体のMOTOR CARS編集長、2017年より自動車ビジネス誌×WebメディアのNEXT MOBILITY 編集長。

松下次男

1975年日刊自動車新聞社入社。編集局記者として国会担当を皮切りに自動車販売・部品産業など幅広く取材。その後、長野支局長、編集局総合デスク、自動車ビジネス誌MOBI21編集長、出版局長を経て2010年論説委員。2011年から特別編集委員。自動車産業を取り巻く経済展望、環境政策、自動運転等の次世代自動車技術を取材。2016年独立し自動車産業政策を中心に取材・執筆活動中。

間宮 潔

1975年日刊自動車新聞社入社。部品産業をはじめ、自動車販売など幅広く取材。また自動車リサイクル法成立時の電炉業界から解体現場までをルポ。その後、同社の広告営業、新聞販売、印刷部門を担当、2006年に中部支社長、2009年執行役員編集局長に就き、2013年から特別編集委員として輸送分野を担当。2018年春から独立、NEXT MOBILITY誌の編集顧問。

片山 雅美

日刊自動車新聞社で取材活動のスタートを切る。同紙記者を皮切りに社長室支社統括部長を経て、全石連発行の機関紙ぜんせきの取材記者としても活躍。自動車流通から交通インフラ、エネルギー分野に至る幅広い領域で実績を残す。2017年以降は、佃モビリティ総研を拠点に蓄積した取材人脈を糧に執筆活動を展開中。

中島みなみ

(中島南事務所/東京都文京区)1963年・愛知県生まれ。新聞、週刊誌、総合月刊誌記者(月刊文藝春秋)を経て独立。規制改革や行政システムを視点とした社会問題を取材テーマとするジャーナリスト。

山田清志

経済誌「財界」で自動車、エネルギー、化学、紙パルプ産業の専任記者を皮切りに報道分野に進出。2000年からは産業界・官界・財界での豊富な人脈を基に経済ジャーナリストとして国内外の経済誌で執筆。近年はビジネス誌、オピニオン誌、経済団体誌、Web媒体等、多様な産業を股に掛けて活動中。

佃 義夫

1970年日刊自動車新聞社入社。編集局記者として自動車全分野を網羅して担当。2000年出版局長として「Mobi21」誌を創刊。取締役、常務、専務主筆・編集局長、代表取締役社長を歴任。2014年に独立し、佃モビリティ総研を開設。自動車関連著書に「トヨタの野望、日産の決断」(ダイヤモンド社)など。執筆活動に加え講演活動も。

熊澤啓三

株式会社アーサメジャープロ エグゼクティブコンサルタント。PR/危機管理コミュニケーションコンサルタント、メディアトレーナー。自動車業界他の大手企業をクライアントに持つ。日産自動車、グローバルPR会社のフライシュマン・ヒラード・ジャパン、エデルマン・ジャパンを経て、2010年にアーサメジャープロを創業。東京大学理学部卒。

福田 俊之

1952年東京生まれ。産業専門紙記者、経済誌編集長を経て、99年に独立。自動車業界を中心に取材、執筆活動中。著書に「最強トヨタの自己改革」(角川書店)、共著に「トヨタ式仕事の教科書」(プレジデント社)、「スズキパワー現場のものづくり」(講談社ピーシー)など。