JAF(日本自動車連盟)は8月12日、令和元年度のプロスポーツ関係者を対象とした顕彰で高橋国光氏が選出されたことを発表した。(坂上 賢治)
これは文部科学省が、日本のスポーツ振興に関して特に功績顕著な人材を「スポーツ功労者」として顕彰しているもの。今年は7月27日にソーシャルディスタンスを確保した文部科学省旧庁舎内に於いて顕彰式典が行われた。
文部科学省旧庁舎の講堂で行われた顕彰は、実は3月9日に行われるはずだった式典が仕切り直されたもの。広い会場でソーシャルディスタンスを確保し、文部科学省の萩生田光一大臣、スポーツ庁の鈴木大地長官が臨席する中、厳粛なムードで顕彰が行われた。
令和元年度のプロスポーツ関係者を対象とした被顕彰者は5名。JAFの理事を務めた経験を持ち、JAFモータースポーツ名誉委員の称号を持つ高橋氏だが、モータースポーツ界では初の顕彰対象の選出となった。萩生田光一文部科学大臣から顕彰状を授与された高橋氏は、二輪および四輪モータースポーツにおける長きに渡る自身の経歴を交えながら顕彰の喜びを語った。
式典後の高橋氏は「本当にびっくりしているんですよ。大臣から顕彰を受けるなんて未だかつてなかったですし、モータースポーツ関係では初めてだということでありますしね。
やはり僕が少年の頃、モーターサイクルを乗り回すのが好きだった当時を思い浮かべるんですよ。日本の経済は敗戦後、母親はたくさんの子供を育てないといけないし、父親は朝から晩まで仕事でした。自分の両親もそうでしたから、そういう姿を思い出すと、自分は勉強もしないで、バイクいじりばっかりやってましたからね。
そんなところで、浅間山でクラブマンレースに出場する機会があって、第1回、第2回のレースで勝つことができました。そして今度は本田宗一郎さんとの縁で、本田さんがメイドインジャパンでナンバーワン、世界チャンピオンになるんだ、という気持ちで、社員や一般の方々も一丸となっている時期にホンダに入ることができました。
結果、自分もそのマシンで日の丸を掲げることができたり、メイドインジャパンを謳えたり。ホントに素人が急にオリンピックに出場して勝ったような感じですよね。この顕彰をもらったのもラッキーのひと言。自分ではなく、みんなが苦労したことでいただいた顕彰ではないかと思います。日本全国、今は海外でも日本人が一生懸命働いていますよね。今回は、そういう人たちの顕彰ではないかと思ってます」と語った。
そんな高橋氏は、1958年に第1回全日本モーターサイクル・クラブマンレースに18歳で参加し、350ccクラスで優勝。翌年には500ccのクラスに参加して優勝。世界大会にも進出し、優秀な成績を修めたモータースポーツ界のレジェンド的存在。
レース中の事故を機に二輪レースを引退してからは四輪レースで活躍。59歳で現役を引退するまでに二輪、四輪を合わせて71勝を記録している。現役引退後はJAFの理事や日本モーターサイクルスポーツ協会(MFJ)の理事を歴任。また、GTアソシエイションの会長を務め、二輪、四輪競技の発展に大きく貢献した。
ちなみにその他のスポーツ功労者では、ゴルフ界から長田力氏(元日本プロゴルフ協会会長)、相撲の西野政章氏(元日本相撲協会理事)。競馬からは中村均氏(元日本調教師会会長)と武豊氏(JRA所属騎手)が顕彰されている。