写真は1997年ダカールラリー優勝時の表彰台のシーン
1997年のパリ・ダカール・ラリー( パリダカ )で、日本人初の総合優勝を飾ったラリードライバーの篠塚建次郎氏( しのづか・けんじろう )が3月18日の午前、長野県諏訪市の病院で膵臓がんのため75歳で逝去した。
篠塚建次郎氏は、1948年11月20日に東京・大田区で生まれた。東海大在学中に友人の誘いでラリーのナビゲーター役を務めて以来ラリーに熱中。大学卒業後の1971年に三菱自動車工業に入社した。
入社後は、宣伝、営業、商品企画、海外関係業務を担う社員ドライバーとしてラリー競技に参戦し続け、71、72年の全日本ラリー選手権シリーズ優勝。1974年からは日本を代表するドライバーとして海外でも活躍した。
しかし1977年の排ガス規制の影響で以後8年間はラリー活動を封印。その後の1986年、当時アフリカを舞台としていたパリ・ダカール・ラリーに三菱ワークスチームのパジェロを駆って38歳で復活。1987年・総合3位、1988年・総合2位。参戦12年目の1997年に日本人初の総合優勝を果たした。
なお1988年には、アジアパシフィックラリー選手権 ( APRC ) の初代チャンピオンとなっている。更に世界ラリー選手権( WRC )では、1991年のアイボリーコーストラリーでギャランVR-4のステアリングを握って日本人初の優勝。翌1992年には連覇を果たした。
2002年のダカール・ラリー総合3位を最後に三菱自動車を退社。同年、篠塚氏はパリダカのゴール地点セネガルに小学校を設立。毎年文房具を寄付するなどの支援活動も続けつつ、プロドラーバーとして2007年までパリダカに参戦し続けた。
その後は、母校の東海大でソーラーカーレースにも出場。2014年8月には沖縄県宮古島市の下地島空港の滑走路でソーラーカー世界最高速記録の88.738km/hを破る91.332km/hを出して記録を更新するなど、長年に亘り、日本を代表するドライバーとして活躍してモータースポーツ界を先導した。
2022年には日本自動車殿堂入り。直近では、山梨県八ケ岳山麓の清里高原でペンションを経営していた。妻の篠塚ひろ子さんは「本当によく走り続けました。どうぞ皆様も篠塚を褒めてやってください。長く応援頂き、ありがとうございました」などとコメントしている。葬儀は家族のみで行い、後日お別れの会が開かれる予定。