NEXT MOBILITY

MENU

2024年12月8日【イベント】

フォーミュラEシーズン11、開幕戦はジャガーが制す

坂上 賢治

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

 

ABB FIAフォーミュラE世界選手権シーズン11の開幕戦の決勝が12月7日(ブラジル・サンパウロ)に開催され、グリッド22番手からスタートしたミッチ・エバンス選手(ジャガーTCSレーシング)が、全車をオーバテイクして優勝を飾った。

 

シーズン11年を迎えた同シリーズ戦は、相次ぐレーシングマシンの改良を経て遂に各選手達は4輪駆動が許されるレギュレーションとなったGEN3 EVOのステアリングを握っての戦いとなった。参戦チームもローラ・ヤマハABTフォーミュラEチーム、クプラ・キロなど一部刷新され、11チーム22台がスターティンググリッドに並んだ。

 

 

予選セッションは2組に分かれたノックアウト形式の後に、トーナメント形式でのタイムアタックが行われ、その結果、前シーズンを2.938秒上回るタイムを刻んだパスカル・ウェーレイン選手(タグ・ホイヤー・ポルシェ・フォーミュラEチーム)がポールポジションを獲得。2番手にはオリバー・ローランド選手(ニッサン・フォーミュラEチーム)が付けた。

 

決勝レースは、現地時間14時から31周で雌雄を決するべくグリッドに整列。但し、この際、ロビン・フラインス選手(エンビジョン・レーシング)がシステムトラブルでスタートできずに一時中断。改めてグリッド上に残った21台で幕を落とした。

 

ホールショットを奪取したのは、2番グリッドからスタートしたローランド選手。その後方にウェーレイン選手、マキシミリアン・ギュンター選手(DSペンスキー)と続いた。

 

続く2周目のターン6でジェイク。ヒューズ選手(マセラティMSGレーシング)とニコ・ミューラー選手(アンドレッティ・フォーミュラE)が接触。これによりセーフティカー(SC)が導入される。

 

 

以降、セーフティランが暫く続いた後の6周目にレース再開。ローランド選手が後続を引き離し始め、その後方では、アタックモードを利用しニック・キャシディ選手(ジャガーTCSレーシング)が追い上げ、8周目にトップに立つ展開に。

 

以後レースは順調に消化していたのだが、11周目にノルマン・ナトー選手(ニッサン・フォーミュラEチーム)、サム・バード選手(NEOM・マクラーレン・フォーミュラEチーム)、テイラー・バーナード選手(NEOM・マクラーレン・フォーミュラEチーム)がドライブスルーペナルティを課せられ順位を落とす。

 

そうしたなかで続く12周目でローランド選手がアタックモードを巧みに使い再びトップに。これを契機に各車、アタックモードを利用して激しく順位争いする状況になった。そのなかで、アントニオ・フェリックス・ダ・コスタ選手(タグ・ホイヤー・ポルシェ・フォーミュラEチーム)がトップに立った瞬間にジェイク・デニス選手(アンドレッティ・フォーミュラE)がマシントラブルで停止してコースを塞いだことから赤旗中断に。

 

 

30分間の中断を経て、ダ・コスタ選手とローランド選手がグリッド最上位に並んでレース再開。当初のレーススタートと同じくローランド選手が集団を率いてリードしていく。

 

そして残り4周となったレース終盤で、集団を率いてきたローランド選手がオーバーパワーによるドライブスルー・ペナルティが課せられ後退。これを好機に後方をランデブー走行していた2台のジャガーTCSレーシングチームが浮上して集団をリード。

 

しかしミッチ・エバンス選手がトップに立ったタイミングで、キャシディ選手とウェーレイン選手が接触。 ウェーレイン選手のマシンが横転したことで2度目の赤旗中断。

 

 

選手の安全確保やマシン回収を含めた30分間の後、残り4周でレース再開。超スプリントレースとなった最終盤。エバンス選手がトップでゴールラインを潜り、次いでダ・コスタ選手が続いた。3番手はバーナード選手が最後のポデュウムを確保した。

 

 

この結果、ドライバーズランキング首位はエバンス選手、マニフアクチャラーランキングでは、グリッド17位と16位から猛追して3位と4位でフィニッシュしたNEOMマクラーレンが首位に立った。

 

また20歳189日のバーナード選手は、2015年にダニエル・アプト選手が樹立した記録を上回りフォーミュラE史上最年少の表彰台ウイナーとなった。更に終始レースをリードしていたオリバー・ローランド選手には手痛い結末となった。次シリーズは1月11日にメキシコシティで幕を開ける。

 

 

———————————

 

以下はレースで躍進した選手達のコメントとなる

 

 

ジャガーTCSレーシングNo.9、ミッチ・エバンス選手「予選で不運に見舞われ最後尾スタートとなってしまったので、望外の結果を得られるとは思いもしませでした。率直に言ってできるだけ多くのポイントを稼いでシーズンのスタートを飾りたいと思っていましたが混戦に巻き込まれてしましました。パスカル(ウェーレイン)が無事だったことに安心した一方で、僕自身は少し運が良かったのでしょう。いずれにしてもクレイジーなレース展開となったので、戦略を立てたり、いつ何をすべきかを知ることは、とても難しかった。そういう意味でジャガーチームの全員に感謝しています」

 

 

タグ・ホイヤー・ポルシェ・フォーミュラ E チームNo.13、アントニオ・フェリックス・ダ・コスタ選手、「過去2年間は厳しいレースシーズンが続き、今回も厳しいスタートとなりました。しかし、素晴らしいチームと強いマシンというパッケージを得たことで表彰台に上がれてとても嬉しいです。最終的にミッチとの差は僅かでしたが、最後尾から追い上げてきた彼に本当によくやったと思います。最後にパスカル(ウェーレイン)が無事だったことに安堵しています」

 

 

NEOM マクラーレン フォーミュラE チームNo.5、テイラー バーナード選手、「表彰台でのスピーチは用意していませんでした。そもそもレース開始直後にフロント ウィングを外して交換しなければならず、ドライブスルー ペナルティも受けました。なのでこの結果には、何と言っていいかわかりません。対してチームは本当に素晴らしい仕事をしてくれました。そのおかげで、僕とサム(バード)は簡単に前に出ることができました。今日はお互いに素晴らしい仕事をしました。彼の素晴らしいチームワーク振りにも感謝します」

 

———————————

 

なおフォーミュラ E は、シリーズのコミュニティ エンゲージメントと社会的持続可能性戦略の一環として、Better Futures Fund を通じて Associação PiPA を支援した。25,000 ユーロの寄付は、社会的に弱い立場にあるコミュニティ内で強化された教育プログラムを通じて280人の若者をサポートする他、レース当日に慈善団体に関係する5,000人の子供たちとその家族を招待した。

 

CLOSE

坂上 賢治

NEXT MOBILITY&MOTOR CARS編集長。日刊自動車新聞を振り出しに自動車産業全域での取材活動を開始。同社の出版局へ移籍して以降は、コンシューマー向け媒体(発行45万部)を筆頭に、日本国内初の自動車環境ビジネス媒体・アフターマーケット事業の専門誌など多様な読者を対象とした創刊誌を手掛けた。独立後は、ビジネス戦略学やマーケティング分野で教鞭を執りつつ、自動車専門誌や一般誌の他、Web媒体などを介したジャーナリスト活動が30年半ば。2015年より自動車情報媒体のMOTOR CARS編集長、2017年より自動車ビジネス誌×WebメディアのNEXT MOBILITY 編集長。

松下次男

1975年日刊自動車新聞社入社。編集局記者として国会担当を皮切りに自動車販売・部品産業など幅広く取材。その後、長野支局長、編集局総合デスク、自動車ビジネス誌MOBI21編集長、出版局長を経て2010年論説委員。2011年から特別編集委員。自動車産業を取り巻く経済展望、環境政策、自動運転等の次世代自動車技術を取材。2016年独立し自動車産業政策を中心に取材・執筆活動中。

間宮 潔

1975年日刊自動車新聞社入社。部品産業をはじめ、自動車販売など幅広く取材。また自動車リサイクル法成立時の電炉業界から解体現場までをルポ。その後、同社の広告営業、新聞販売、印刷部門を担当、2006年に中部支社長、2009年執行役員編集局長に就き、2013年から特別編集委員として輸送分野を担当。2018年春から独立、NEXT MOBILITY誌の編集顧問。

片山 雅美

日刊自動車新聞社で取材活動のスタートを切る。同紙記者を皮切りに社長室支社統括部長を経て、全石連発行の機関紙ぜんせきの取材記者としても活躍。自動車流通から交通インフラ、エネルギー分野に至る幅広い領域で実績を残す。2017年以降は、佃モビリティ総研を拠点に蓄積した取材人脈を糧に執筆活動を展開中。

中島みなみ

(中島南事務所/東京都文京区)1963年・愛知県生まれ。新聞、週刊誌、総合月刊誌記者(月刊文藝春秋)を経て独立。規制改革や行政システムを視点とした社会問題を取材テーマとするジャーナリスト。

山田清志

経済誌「財界」で自動車、エネルギー、化学、紙パルプ産業の専任記者を皮切りに報道分野に進出。2000年からは産業界・官界・財界での豊富な人脈を基に経済ジャーナリストとして国内外の経済誌で執筆。近年はビジネス誌、オピニオン誌、経済団体誌、Web媒体等、多様な産業を股に掛けて活動中。

佃 義夫

1970年日刊自動車新聞社入社。編集局記者として自動車全分野を網羅して担当。2000年出版局長として「Mobi21」誌を創刊。取締役、常務、専務主筆・編集局長、代表取締役社長を歴任。2014年に独立し、佃モビリティ総研を開設。自動車関連著書に「トヨタの野望、日産の決断」(ダイヤモンド社)など。執筆活動に加え講演活動も。

熊澤啓三

株式会社アーサメジャープロ エグゼクティブコンサルタント。PR/危機管理コミュニケーションコンサルタント、メディアトレーナー。自動車業界他の大手企業をクライアントに持つ。日産自動車、グローバルPR会社のフライシュマン・ヒラード・ジャパン、エデルマン・ジャパンを経て、2010年にアーサメジャープロを創業。東京大学理学部卒。

福田 俊之

1952年東京生まれ。産業専門紙記者、経済誌編集長を経て、99年に独立。自動車業界を中心に取材、執筆活動中。著書に「最強トヨタの自己改革」(角川書店)、共著に「トヨタ式仕事の教科書」(プレジデント社)、「スズキパワー現場のものづくり」(講談社ピーシー)など。