MotoGPは、第19戦バレンシアGP(リカルド・トルモ・サーキット)でシリーズ最終戦を迎え、決勝レースでレプソル・ホンダ・チームのマルク・マルケスが優勝。結果、ホンダは2輪ロードレースの世界選手権で、既に獲得していたマルク・マルケスによる個人タイトル、先の日本GPで確定したメーカータイトルに加えて、ワークス体制のレプソル・ホンダ・チームがチームタイトルを獲得した。
マルク・マルケスのチームメイトとして、この1年間、レプソル・ホンダ・チームとして戦ったホルヘ・ロレンソは13位に終わり、ロレンソは、かねてより現役引退を表明していたことから、この結果を以て現役生活を終えた。
決勝レースは気温15度・路面温度16度のドライコンディション下でスタートが切られた。この決勝に先立つ予選では、エンジンパワーのハンディキャップをコーナリング性能で克服してきたヤマハ陣営が気を吐き、今季がルーキーイヤーだったペトロナス・ヤマハSRTのファビオ・クアルタラロがポールポジションを獲得した。
しかし実際にホールショットを奪ったのは、テクニカルコースを苦手としてきたドゥカティを駆るプラマック・レーシングのジャック・ミラーで、程なくこれをクアルタラロがひっくり返しレースをリードしていく。
ヤマハに乗るクアルタラロは今シーズン、ルーキーらしらぬ活躍でこれまでの2019年シーズンを牽引していく存在となっていたのだが、2周目にマルク・マルケスが2番手に浮上。8周目の11コーナーで、マルケスが難なくクアルタラロを捉えてトップに躍り出る。
その後、マルケスは徐々にクアルタラロとの差を広げて首位を守るという安定感を見せてシーズン最終戦を飾った。これでマルケスは2019年シーズン12勝目。このMotoGPという最高峰クラスだけの計算でも通算56勝目をマーク。1シーズンの個人成績でも前人未踏の420ポイントを計上するという圧倒的な強さを見せた。
レプソル・ホンダ・チームが、バレンシアGPに至る最終戦でようやくチームタイトルを獲得した理由は、今季のチームタイトルの殆どをマルク・マルケスが稼ぎ出したためで、結果、個人、コンストラクター、チームの3冠達成には最終戦を待たねばならなかった。なお先の通り同レースを限りに現役を引退するロレンソは13位で最後のチェッカーを受け最後のレースの幕を下ろした。
ホルヘ・ロレンソ選手(32歳)はこの決勝レースに先駆ける11月14日に記者会見を開き、このバレンシアGPをもってMotoGPから引退することを発表していた。なおこのロレンソの離脱で空いたシートについては、GPパドックでも様々な噂が挙がっており、最もインパクトがある説では、今季Moto2クラスのチャンピオンとなったマルケスの弟、アレックス・マルケスが座って兄弟によるワークスチーム誕生という予想も飛び出しているようだ。
今大会で297戦目となるのロレンソ選手は、MotoGP全クラス通算で5度のチャンピオンを獲得。下位のMoto2・Moto3クラスから積み上げてきた全てのMotoGPキャリア18年間を通して68勝を含む152回、表彰台に立ち69回のポールポジション、37回のファステストラップを獲得し、安定した成績を残した。
15歳で世界戦デビュー
2002年のスペインGPの大会2日目に15歳の誕生日を迎え、世界戦デビューを果たしたロレンソ選手は、翌2003年のブラジルGPでアウトコーナーを狙う特徴的な走りで初優勝。125ccクラスで4勝を挙げ、2005年には250ccクラスへステップアップした。
その後、2006年、2007年に同クラスを連覇し、3年間で17勝、29回の表彰台と圧倒的な成績を残した。
二輪レース最高峰のMotoGPデビュー
2008年、最高峰のMotoGPクラスでデビューしたロレンソ選手は、開幕から3戦連続でポールポジションを獲得し、表彰台にも登壇。3戦目で最高峰クラス初優勝を成し遂げた。デビューシーズンは、転倒による負傷も影響し、タイトルには届かなかったもののランキング4位、ルーキー・オブ・ザ・イヤーに輝いた。
そして翌2009年にはランキング2位に浮上。2010年にはシーズン18戦すべてを、4位以内でフィニッシュし、表彰台を逃したのは2戦のみという圧巻の走りを見せ、最高峰クラスでの初タイトルを獲得。スペイン人ライダーによる最高峰クラスでのチャンピオンは、アレックス・クリビーレに次いで2人目。また、この年の獲得ポイント383は、その後10年近く破られることのない記録となった。
2012年には、シーズン19戦中17戦で表彰台に登壇し、2度目のタイトルを獲得。2015年に、マルク・マルケス選手、バレンティーノ・ロッシ選手との激しい争いを経て、最終戦で3度目のタイトルを獲得した。
チーム移籍。そして引退へ
その後、チームを移籍したロレンソ選手は、3勝と7回の表彰台を獲得。2つ目のマニュファクチャラーでも勝利を挙げた。
2019年には、ホンダワークスチームのレプソル・ホンダへ移籍。シーズン前のトレーニング中の負傷にもかかわらず、RC213Vの習熟を進めたが、オランダGPで激しい転倒を喫して、4戦の欠場を余儀なくされた。
ロレンソ選手のMotoGPクラスでの表彰台114回は歴代2位、全クラス通算で69回のポールポジションも歴代2位、最高峰クラス47勝は歴代5位、最高峰クラスでの総獲得ポイント2896は歴代3位。ロレンソ選手は、輝かしい成績を残してグランプリを後にする。
ホルヘ・ロレンソ選手は引退会見で、以下のように話している。
「今大会がMotoGPでの最後のレースとなり、私はレースの世界から引退します。
3歳のころからレースに触れ、30年近くを過ごしてきました。一緒に働いた人たちは、私が完璧主義者で、それを成し遂げるためにどれだけ懸命に取り組んできたかを理解してくれていると思います。それを継続するためには、高いレベルのモチベーションが必要です。
ホンダと契約したときには、誰もが夢見るHRCワークスライダーとなり、素晴らしいモチベーションがありました。残念ながら今季はケガによっていつも通りのライディングができませんでした。シーズン前のモンメロでのテストで激しいクラッシュを喫し、その後アッセンでの転倒によって欠場も余儀なくされました。
これによって、自分の越えるべき山が非常に高いことを痛感し、それでも挑戦を続けましたが、モチベーションを見いだせなくなり、この山を登り続けることができなくなりました。
私自身、非常に残念に思っていますし、常に素晴らしいサポートをしてくれた、アルベルト・プーチさん、(横山)健男さん、桒田(哲宏)さん、野村(欣滋)さん、そしてチームの全員に申し訳なく思っています。ホンダのサポートに感謝していますし、私のキャリアに関わってくれたすべての人に心からお礼を申し上げます」。
また、本田技研工業の執行役員で二輪事業本部ものづくりセンター所長および、ホンダ・レーシング代表取締役社長の野村欣滋氏は、以下のように話している。
「ホルヘ・ロレンソ選手がレースの世界を去ってしまうのは、とても悲しいです。
ロレンソ選手は過去10年間で最強のチャンピオンの一人でした。以前はライバルとして相対し、現在はチームメートとして一緒に戦ってきました。
彼をRepsol Honda Teamに迎えるのはまたとないチャンスであり、彼と一緒に戦うことを心待ちにしていました。しかし残念ながら、シーズン前のけがやアッセンでの転倒があり、思うような活躍ができませんでした。
彼はかつて持っていた自信を取り戻すことができず、引退にともなってRepsol Honda Teamライダーとしての私たちとの関係も、残念ながら終止符を打つことになりました。株式会社ホンダ・レーシングを代表してロレンソ選手の今後の活躍をお祈りします」。