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2023年8月6日【経済・社会】

ホンダ、酷暑の鈴鹿8耐を連覇で飾る

坂上 賢治

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三重県・鈴鹿サーキット(鈴鹿市稲生町)に於いて8月6日、2023FIM世界耐久選手権・第3戦「コカコーラ鈴鹿8時間耐久ロードレース」の第44回大会の決勝レースが開かれ、この日、ホンダワークスのTeam HRC with Japan Post(長島哲太/高橋巧/チャビ・ビエルゲ選手)が昨年より2周多い216周を走破して総合優勝を飾った。HRCの総合優勝は、昨年の8年振りの栄冠に続く連覇となった。( 坂上 賢治 )

 

 

世界耐久選手権・第3戦の舞台となった鈴鹿サーキットは、8の字型のレイアウトが特徴で、コーナーの種類が多く、ライダーにとって難易度の高いサーキットだ。

 

 

鈴鹿サーキットは、1962年にホンダのテストコースとして開設され、1978年、鈴鹿8時間耐久レースが初開催された。以来、昼夜を通して行われるこのレースは、FIM EWCレーススケジュールの中でも人気のあるレースとなった。

 

 

実際、国際的なレースの中でも重要な位置を占めており、長年に亘ってMotoGPやワールドスーパーバイク等のトップライダー達が参加し、多くの勝利を飾っている。

 

 

そんな鈴鹿に於ける今年の8時間耐久レースは、最終盤に突然訪れた雨が上位チームの明暗を分けた。そもそも今回は決勝前日まで、雨に翻弄されるウエットコンディション下での戦いになるとの前評判であったのだが、11時30分のスタート時刻が近づくにつれ、コースは気温31℃・路面温度46℃のドライコンディションになった。

 

 

雲間から光が差し強い風が吹く環境下で、望外のロケットスタートを決めたのは逸早くマシンに駆け寄ったグレッグ・ブラック選手とYoshimura SERT Motul GSX-R1000R。そのままル・マン式スタートを制して1コーナーへ飛び込み、先頭集団のトップに立ってオープニングラップを周回する。

 

しかし早くも2周目でアクシデントが発生する。ヘアピン過ぎのスプーンカーブで、作本輝介選手(Astemo Honda Dream SI Racing)と、浦本修充選手(SDG Honda Racing)が転倒してセーフティーカーが介入。サイティングラップ状態となる。

 

 

レース再開後は、F.C.C. TSR Honda France、TOHO Racing、AutoRace Ube Racing Teamの隊列だったが、4周目にYART YAMAHAがトップに浮上。更に7周目のメインストレートではTeam HRCが首位を奪取。9周目のS字コーナーではYART YAMAHAが再浮上する目まぐるしいシーソーゲームとなった。

 

 

程なくレースは9周目を迎え一旦、小康状態となるが、YART YAMAHA、Team HRC、Yoshimura SERT Motuの3台が鍔迫り合い状態に。レース開始後30分後にはTeam HRCをYART YAMAHAが追う展開へ。その数秒後方をYoshimura SERTが追い縋る状態となる。

 

 

その後50分を迎えた頃から各車1回目のピットインを消化。この時点でTeam HRCが、後続のYART YAMAHAとの差を徐々に拡大。1時間10分経過時点で、その差は約23秒まで広がった。

 

その後方には、Yoshimura SERT Motulが虎視眈々と2台を追う。一方、序盤に転倒したF.C.C. TSR Honda Franceは、損傷部分を補修したことで25番手にまで順位を落とした。

 

 

レースが1時間半を消化した時点で、首位と2番手の差は40秒程度まで拡大。3番手を走るYoshimura SERT Motul は更にそこから1分近い遅れとなっていた。

 

その状況が動いたのは、そこから僅か5分後。2番手のYART YAMAHAが最終シケイン手前のバックストレートでマシントラブルに見舞われ停止。この結果、2番手へYoshimura SERT Motulが、3番手はAstemo Honda Dream SI Racingが浮上する。

 

 

その間、Team HRCはライダーが長島哲太選手からX.ビエルゲ選手へ交代するも独走体制は変わらず。対して電気系のトラブルに見舞われたYART YAMAHAはマシンを押してピットに戻る。更に2時間経過後には、その時点で3番手を走っていたAstemo Honda Dream SI Racingが東コースをショートカットして緊急ピットインした。

 

 

しかし各チームを襲うトラブルはまだまだ続き、2時間15分経過後にAstemo Honda Dream SI Racingがへアピンで転倒。そこから10分後には、首位から12周遅れの43位でレースに復帰したYART YAMAHAのフェアリングが外れてピットイン。この間、トップを走り続けるTeam HRCと2番手を走るYoshimura SERT Motulが後続を引き離す。

 

3時間経過時点で、各チームが相次いでライダー交代を行う中で、Team HRCは依然として独走状態。2番手のYoshimura SERT Motulと差は2分に拡大した。

 

 

更に4時間が経過した時点で、EWC(世界耐久)シリーズタイトルを賭けて争うF.C.C. TSR Honda Franceが12番手。同じ関係のYART YAMAHAは40番手となってしまった。

 

また、この頃のトップはTeam HRC。2番手はYoshimura SERT Motul。3番手はTOHO Racing。4番手はAutoRace Ube Racing Team、5番手がS-PULSE DREAM RACING-ITECが続く。

 

 

1時間を経た5時間経過時に、車両の転倒トラブルなどで再びセーフティーカーが介入。これを期にピットインを行ったため各車の順位が変動する。結果、3番手にAutoRace Ube Racing Team、4番手にTOHO Racingが浮上した。

 

 

しかしそこから6時間を経過した時点でも、首位をひた走るのはTeam HRCと変わらず。2番手は、周回遅れのYoshimura SERT Motul、その1分半後方にTOHO Racingが付けている。

 

 

そしてレースはいよいよ残り1時間30分となるが、なんとこの期になって西コースで雨が降り始める。しかし各車はライバルの動きを探りつつ、ドライタイヤのまま走行を重ねる。

 

 

そのなかでYoshimura SERTは率先してタイヤをレイン変更。しかし皮肉にも、コースインした直後の逆バンクでまさかの転倒を喫する。これにより2番手はTOHO Racingに入れ替わる。しかし依然首位を走るのはTeam HRCだ。

 

やがて残りレースが残り1時間となり、降雨が小康状態となった頃、Yoshimura SERT Motulが、ようやく転倒の修復を済ませて11番手でレースに復帰。このタイミングでコース上は乾き始める。

 

 

結果、ドライタイヤで我慢の走りを続けたTeam HRCが、後続車を2周近く周回数を引き離して独走。一方でこの鈴鹿8耐のみならず、シリーズ戦を戦い続けるF.C.C. TSR Honda Franceは、粘り強い走りで順位を4位にまで回復。同じく転戦組のYART YAMAHA OFFICIAL TEAM EWCは25位を走る。

 

 

最終的に夜の帳が降りた8時間の激戦を制したのは、2年連続の栄冠を獲得したTeam HRC(長島哲太/高橋巧/チャビ・ビエルゲ選手)のCBR1000RR-R FIREBLADE SP。

 

 

2位は、TOHO Racing(清成龍一/國峰啄磨/榎戸育寛選手)のCBR1000RR-R FIREBLADE SP。3位は、SDG Honda Racing(浦本修充/名越哲平/埜口遥希選手)のCBR1000RR-R FIREBLADE。

 

これを秒単位の差で追い縋ったF.C.C. TSR Honda France(マイク・ディ・メリオ/アラン・テシェ/タラン・マッケンジー選手)のCBR1000RR-R FIREBLADE SPが4位。5位はAutoRace Ube Racing Team(ダン・リンフット/津田拓也選手)のGSX-R1000R。

 

 

6位は、Honda Dream RT SAKURAI Honda(伊藤和輝/日浦大治朗/荒川晃大選手)のCBR1000RR-R FIREBLADE。7位はBMW MOTORRAD WORLD ENDURANCE TEAM(マルクス・レイテルベルガー/イリア・ミカルキク/ジェレミー・グラハニ選手)のM1000RR。

 

8位はHonda Asia-Dream Racing with SHOWA(モハメド・ザクワン・ビン・ザイディ/アンディ・ファリド・イズディハール/ナカリン アティラプワパ選手)のCBR1000RR-R FIREBLADE。9位は、S-PULSE DREAM RACING-ITEC(渥美心/ジョシュ・ウォータース/マーセル・シュロッター選手)のGSX-R1000R。10位は、Astemo Honda Dream SI Racing(水野涼/渡辺一馬/作本輝介選手)のCBR1000RR-R FIREBLADEとなった。

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坂上 賢治

NEXT MOBILITY&MOTOR CARS編集長。日刊自動車新聞を振り出しに自動車産業全域での取材活動を開始。同社の出版局へ移籍して以降は、コンシューマー向け媒体(発行45万部)を筆頭に、日本国内初の自動車環境ビジネス媒体・アフターマーケット事業の専門誌など多様な読者を対象とした創刊誌を手掛けた。独立後は、ビジネス戦略学やマーケティング分野で教鞭を執りつつ、自動車専門誌や一般誌の他、Web媒体などを介したジャーナリスト活動が30年半ば。2015年より自動車情報媒体のMOTOR CARS編集長、2017年より自動車ビジネス誌×WebメディアのNEXT MOBILITY 編集長。

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1975年日刊自動車新聞社入社。編集局記者として国会担当を皮切りに自動車販売・部品産業など幅広く取材。その後、長野支局長、編集局総合デスク、自動車ビジネス誌MOBI21編集長、出版局長を経て2010年論説委員。2011年から特別編集委員。自動車産業を取り巻く経済展望、環境政策、自動運転等の次世代自動車技術を取材。2016年独立し自動車産業政策を中心に取材・執筆活動中。

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1975年日刊自動車新聞社入社。部品産業をはじめ、自動車販売など幅広く取材。また自動車リサイクル法成立時の電炉業界から解体現場までをルポ。その後、同社の広告営業、新聞販売、印刷部門を担当、2006年に中部支社長、2009年執行役員編集局長に就き、2013年から特別編集委員として輸送分野を担当。2018年春から独立、NEXT MOBILITY誌の編集顧問。

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日刊自動車新聞社で取材活動のスタートを切る。同紙記者を皮切りに社長室支社統括部長を経て、全石連発行の機関紙ぜんせきの取材記者としても活躍。自動車流通から交通インフラ、エネルギー分野に至る幅広い領域で実績を残す。2017年以降は、佃モビリティ総研を拠点に蓄積した取材人脈を糧に執筆活動を展開中。

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1970年日刊自動車新聞社入社。編集局記者として自動車全分野を網羅して担当。2000年出版局長として「Mobi21」誌を創刊。取締役、常務、専務主筆・編集局長、代表取締役社長を歴任。2014年に独立し、佃モビリティ総研を開設。自動車関連著書に「トヨタの野望、日産の決断」(ダイヤモンド社)など。執筆活動に加え講演活動も。

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株式会社アーサメジャープロ エグゼクティブコンサルタント。PR/危機管理コミュニケーションコンサルタント、メディアトレーナー。自動車業界他の大手企業をクライアントに持つ。日産自動車、グローバルPR会社のフライシュマン・ヒラード・ジャパン、エデルマン・ジャパンを経て、2010年にアーサメジャープロを創業。東京大学理学部卒。

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1952年東京生まれ。産業専門紙記者、経済誌編集長を経て、99年に独立。自動車業界を中心に取材、執筆活動中。著書に「最強トヨタの自己改革」(角川書店)、共著に「トヨタ式仕事の教科書」(プレジデント社)、「スズキパワー現場のものづくり」(講談社ピーシー)など。