NEXT MOBILITY

MENU

2024年8月2日【企業・経営】

ホンダ、F1初参戦から60年で記念のWebサイトを開設

坂上 賢治

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

 

F1初参戦マシンRA271の展示・F1初優勝マシンRA272のデモ走行も実施

 

本田技研工業は、1964年8月2日のFIAフォーミュラ・ワン世界選手権(F1レース)初参戦から60年を迎えたことを記念し、自社のモータースポーツ参戦の歴史、現在の活動などを網羅的に紹介するウェブサイト「Honda Motorsports ウェブサイト」を公開した。

 

上記のF1参戦60年記念サイトは、ホンダが二輪車事業を柱に据えていた時期に創業者の本田宗一郎氏がF1レースへの参戦を宣言。1964年に第一歩を踏み出したホンダの原点と言って良い歴史の1頁から、現活動を継続的に発信していくウェブサイトとして同社が制作・公開したもの。同社では今後、F1でのレース活動を中心に順次コンテンツを拡充していくと述べている。

 

F1参戦前の段階でクーパークライマックス( 英Cooper Car Company製車体 + 英Coventry Climax製FRFエンジンによるレース車両 / ミッドシップエンジン車としてF1で初めて成功を収めた )を参考に、鋼管スペースフレームで纏められた試作車「RA270」と本田宗一郎氏(1964年2月)

 

サイト上のコンテンツの皮切りとしては、1965年メキシコグランプリの撮影フィルムを復刻したカラー映像や、先の2024年7月に英国で開催されたGoodwood Festival of Speed 2024(グッドウッド・フェスティバルオブスピード)でF1ドライバー角田裕毅(つのだゆうき)選手が披露したデモ走行を披露した際の映像・イベントレポートなどを掲載していく。

 

Goodwood Festival of Speed 2024で角田選手がドライブしたRA272

 

また、これに併せて、1964年当時のF1用エンジンで世界最高を誇った最高出力220馬力・1500cc V型12気筒エンジン搭載車で、ドイツ・アメリカ・イタリアグランプリの3レースに初参戦した車両RA271の展示を、2024年8月2日から8月20日までウエルカムプラザで実施。

 

RA271

RA272

 

更に来たる2024年8月17日に、米国カリフォルニア州モントレー半島で行われるMonterey Car Week 2024(モントレー・カー・ウィーク2024)内イベントのRolex Monterey Motorsports Reunion(ロレックス・モントレー・モータースポーツ・リユニオン)で、リッチー・ギンサー選手がドライブしてメキシコグランプリ(1965年・参戦2年目)の初優勝をもぎ取った実機・RA272(栃木県・Honda Collection Hallで動態保存してきたもの)のデモ走行を実施する。

 

—————————————

 

F1参戦から60年に亘る足取りの概要は以下の通り

 

第1期(1964年~1968年)
Hondaは初めて四輪車を発売した翌年、1964年8月のドイツグランプリで世界最高峰の四輪レースF1への初参戦を果たした。まさに無謀ともいえる挑戦だったが、参戦2年目の1965年、最終戦メキシコグランプリでエンジン、シャシーともに純粋なHonda製マシンで初優勝を達成した。

 

ホンダのモータースポーツ活動は、「走る実験室」と銘打ち開発に着手。量産車と比べ極めて短期間に結果を出すべくマシン開発に取り組んだ。そうしたスタンスにより、投入技術の優劣がレース結果で誰の目にも明らかになることを踏まえ、当時から技術者を育てるのに最適な道場であると述べていた。

 

第2期(1983年~1992年)
四輪市販車の開発に注力するため、1968年を最後にF1から撤退したホンダだが、1983年に15年振りにF1への復帰を果たす。

 

翌1984年に復帰後の初勝利を挙げると、1986年にコンストラクターズタイトル、1987年にはドライバー、コンストラクターのダブルタイトルを獲得。1988年には開幕から11連勝し16戦中15勝。1992年で活動を休止するまでの10年間で通算69勝、5年連続ダブルタイトル獲得の金字塔を打ち立てた。

 

1987年チャンピオン ネルソン・ピケ選手

 

1988年チャンピオン アイルトン・セナ選手

 

第3期(2000年~2008年)
1992年の撤退から8年の時を経た2000年に再びF1へ復帰。B・A・R(British American Racing)へのエンジン供給および車体の共同開発という新たなスタイルで参戦。2004年にはコンストラクターズランキング2位を獲得、更に2006年にはHonda単独のHonda Racing F1 Teamとして参戦。第13戦ハンガリーグランプリで悲願の復帰後初優勝を果たした。

 

2006年ハンガリーグランプリ優勝 ジェンソン・バトン選手

 

第4期(2015年~2021年)
2015年にはMcLarenとタッグを組み4度目のF1挑戦として参入。結果が出ない厳しい3年間を経て、2018年にパートナーをScuderia Toro Rossoに変更。2019年にはRed Bull Racingともパートナーを組み、オーストリアグランプリで13年ぶりの勝利を挙げた。

 

そして2021年、Red Bull Racingのマックス・フェルスタッペン選手がドライバーズタイトルを獲得。この際は、航空機部門も巻き込んだホンダの開発・生産が持つ知見と技術を最大限に盛り込み、ようやく栄光を掴む。

 

この2021年を以て参戦終了を前言。2022年からはOracle Red Bull Racing及びScuderia AlphaTauri(現チーム名Visa Cash App RB F1 Team ビザ・キャッシュアップ・RB・フォーミュラ・ワン・チーム)へパワーユニットを提供するチームパートナーとして、技術支援体制に移った。

 

2021年チャンピオン マックス・フェルスタッペン選手

 

第5期(2026年~)
来たる2026年からは、F1への再参戦体制として、Aston Martin Aramco Formula One® Team(アストンマーティン・アラムコ・フォーミュラ・ワン・チーム)にパワーユニットを供給する予定。

 

2026年以降のF1のパワーユニットは、100%カーボンニュートラル燃料の使用が義務付けられると共に、エンジンと電動モーターの出力が同等となる。

 

このF1の新たなレギュレーションが、本田技研工業の目標とするカーボンニュートラルの実現に向けた技術の方向性と合致していると同社では説明。その実現に向けた将来技術の開発に大きな意義を持つとして参戦を決定したと謳っている。

 

—————————————

 

Hondaの主なF1活動
– 1964年~1968年: エンジン・車体を含めたオールHondaとして参戦
– 1965年: メキシコグランプリで初優勝
– 1983年~1992年: エンジンサプライヤーとして参戦
– 1986年: Williams Hondaとしてコンストラクターズタイトルを獲得
– 1987年: ドライバーズチャンピオンとコンストラクターズチャンピオンのダブルタイトル獲得
– 1988年~1991年: McLaren Hondaとして4年連続でドライバーズチャンピオンと
コンストラクターズチャンピオンのダブルタイトル獲得
– 2000年~2005年: B・A・R Hondaとしてエンジン供給と車体の共同開発による参戦
– 2006年~2008年: エンジン・車体を含めたオールHondaとして参戦
– 2015年~2017年: パワーユニットサプライヤーとして参戦・McLarenにパワーユニットを供給
– 2018年: Scuderia Toro Rossoにパワーユニット供給を開始
– 2019年: Red Bull Racingにパワーユニット供給を開始
– 2021年: Red Bull Racingのマックス・フェルスタッペン選手がドライバーズチャンピオン獲得
– 2021年を以てF1参戦を終了
– 2022年:
Red Bull PowertrainsへHRCが技術支援を開始 Red Bull Racingとマックス・フェルスタッペン選手がコンストラクターズチャンピオンとドライバーズチャンピオンのダブルタイトル獲得
– 2023年:
2026年からのF1再参戦を発表
コンストラクターズチャンピオンとドライバーズチャンピオンのダブルタイトルを2年連続で獲得

 

Honda Motorsports ウェブサイトURL:https://global.honda/jp/motorsports/

CLOSE

坂上 賢治

NEXT MOBILITY&MOTOR CARS編集長。日刊自動車新聞を振り出しに自動車産業全域での取材活動を開始。同社の出版局へ移籍して以降は、コンシューマー向け媒体(発行45万部)を筆頭に、日本国内初の自動車環境ビジネス媒体・アフターマーケット事業の専門誌など多様な読者を対象とした創刊誌を手掛けた。独立後は、ビジネス戦略学やマーケティング分野で教鞭を執りつつ、自動車専門誌や一般誌の他、Web媒体などを介したジャーナリスト活動が30年半ば。2015年より自動車情報媒体のMOTOR CARS編集長、2017年より自動車ビジネス誌×WebメディアのNEXT MOBILITY 編集長。

松下次男

1975年日刊自動車新聞社入社。編集局記者として国会担当を皮切りに自動車販売・部品産業など幅広く取材。その後、長野支局長、編集局総合デスク、自動車ビジネス誌MOBI21編集長、出版局長を経て2010年論説委員。2011年から特別編集委員。自動車産業を取り巻く経済展望、環境政策、自動運転等の次世代自動車技術を取材。2016年独立し自動車産業政策を中心に取材・執筆活動中。

間宮 潔

1975年日刊自動車新聞社入社。部品産業をはじめ、自動車販売など幅広く取材。また自動車リサイクル法成立時の電炉業界から解体現場までをルポ。その後、同社の広告営業、新聞販売、印刷部門を担当、2006年に中部支社長、2009年執行役員編集局長に就き、2013年から特別編集委員として輸送分野を担当。2018年春から独立、NEXT MOBILITY誌の編集顧問。

片山 雅美

日刊自動車新聞社で取材活動のスタートを切る。同紙記者を皮切りに社長室支社統括部長を経て、全石連発行の機関紙ぜんせきの取材記者としても活躍。自動車流通から交通インフラ、エネルギー分野に至る幅広い領域で実績を残す。2017年以降は、佃モビリティ総研を拠点に蓄積した取材人脈を糧に執筆活動を展開中。

中島みなみ

(中島南事務所/東京都文京区)1963年・愛知県生まれ。新聞、週刊誌、総合月刊誌記者(月刊文藝春秋)を経て独立。規制改革や行政システムを視点とした社会問題を取材テーマとするジャーナリスト。

山田清志

経済誌「財界」で自動車、エネルギー、化学、紙パルプ産業の専任記者を皮切りに報道分野に進出。2000年からは産業界・官界・財界での豊富な人脈を基に経済ジャーナリストとして国内外の経済誌で執筆。近年はビジネス誌、オピニオン誌、経済団体誌、Web媒体等、多様な産業を股に掛けて活動中。

佃 義夫

1970年日刊自動車新聞社入社。編集局記者として自動車全分野を網羅して担当。2000年出版局長として「Mobi21」誌を創刊。取締役、常務、専務主筆・編集局長、代表取締役社長を歴任。2014年に独立し、佃モビリティ総研を開設。自動車関連著書に「トヨタの野望、日産の決断」(ダイヤモンド社)など。執筆活動に加え講演活動も。

熊澤啓三

株式会社アーサメジャープロ エグゼクティブコンサルタント。PR/危機管理コミュニケーションコンサルタント、メディアトレーナー。自動車業界他の大手企業をクライアントに持つ。日産自動車、グローバルPR会社のフライシュマン・ヒラード・ジャパン、エデルマン・ジャパンを経て、2010年にアーサメジャープロを創業。東京大学理学部卒。

福田 俊之

1952年東京生まれ。産業専門紙記者、経済誌編集長を経て、99年に独立。自動車業界を中心に取材、執筆活動中。著書に「最強トヨタの自己改革」(角川書店)、共著に「トヨタ式仕事の教科書」(プレジデント社)、「スズキパワー現場のものづくり」(講談社ピーシー)など。