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2017年12月7日【経済・社会】

ホンダ、2018年シーズンの新たなスタートに向け、F1運営体制を変更

NEXT MOBILITY編集部

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honda・ホンダ・ロゴ

ホンダが、FIA(※)フォーミュラ・ワン世界選手権(F1)における、Scuderia Toro Rosso (スクーデリア トロ・ロッソ)との新たなパートナーシップのスタートに向け、F1の運営体制を変更すると、12月07日に発表した。

 

新体制では、HRD Sakuraを担当する執行役員が研究開発をリードするとともに、レース・テスト運営も統括する一方、現場の指揮に専念するテクニカル・ディレクターを新たに設置。初代テクニカル・ディレクターには田辺豊治が就任し、F1プロジェクト総責任者のポジションは廃止する。

 

田辺豊治(たなべ とよはる)
・新職: ホンダR&DヨーロッパU.K. F1テクニカル・ディレクター(2018年1月1日付)
・現職: ホンダ・パフォーマンス・ディベロップメント(HPD) シニア・マネージャー

 

以下の通りで主席研究員 F1プロジェクト総責任者の長谷川祐介氏は、主席研究員への移籍となる

 

長谷川祐介(はせがわ ゆうすけ)
・新職: (株)本田技術研究所 主席研究員(2018年1月1日付)
・現職: (株)本田技術研究所 主席研究員 F1プロジェクト総責任者

 

このF1運営体制の変更ついて、ホンダの執行役員、ブランド・コミュニケーション本部長の森山克英は、「これまで、F1プロジェクト総責任者が担っていた技術開発とレース現場指揮監督の責任範囲を分離し、開発とレース・テスト現場それぞれが、よりスピーディーに業務を遂行できる体制へと進化させます。

 

開発現場とレース現場が各々の役割をしっかり果たすことで、Toro Rosso Hondaが上位争いをする姿を一日でも早くお見せできるよう挑戦を続けてまいります。引き続き皆さまの応援をよろしくお願いします」と語っている。

 

2017年のマクラーレンに別れを告げ、来る2018年。今季レッドブルの第2チームであったトロ・ロッソと組むことになった。

ホンダのフォーミュラ1に取り組む体制は、過去を知る筆者にとっても残念なことだが、初年度より永らく迷走が続いている。

 

同社が再び参戦を果たした2015年。F1プロジェクト初代総責任者に就任した新井康久氏に続き、かつて第3期F1時代にジャック・ビルヌーブと切磋琢磨してF1開発に関わり、後の米国内に於けるレースシーンでも豊富な実績を持つ長谷川祐介氏が、同プロジェクトの低迷を立て直すべく責務を引き継いだ。

 

しかし今回、結果を残す充分な猶予が与えられず解任となり、遂に、この制度自体が廃止される。

 

換わって2018年の新体制下では、先の通りホンダのブランド・コミュニケーションを仕切る森山克英執行役員が指揮を取り、対して現場には、初代テクニカルディレクターとして田辺豊治氏を置いた。

 

そもそも総責任者がプロジェクトを率いる体制そのものは、1960年代にマン島TTレースを制して以来、ある意味ホンダの伝統に則ったもの。
おそらく同社内でも、そのように考えられていたものと思われるが、そんな表面上からステレオタイプに見られていた企業体質は、長年の歴史の蓄積のなかで過去のホンダとは大きく変化した。

 

結果、もはや過去の成功例に倣って総責任者体制を敷く形では、責任者そのものが孤立したり、課題にぶつかってしまったりで、戦略から戦術に至る過程で、打ち出した策が裏目に出てしまう結果も多かったようだ。

 

ここで一旦考えてみると、そもそもホンダという企業は、創業者の本田宗一郎氏の影響下でフラットな企業風土をバックヤードに、いつ如何なる時でも、役職すら超えて自由闊達な意見交換を行える「ワイガヤ(膝をつき合わせてのディスカッション)」な企業風土を最大の美点としていた。

 

今回の体制変更は、こうした旧きホンダの伝統に浸った同社の役員達が、よかれと思って敷いた総責任者体制が、返ってボトルネックとなってしまっていたことから、これを廃止。

 

新体制は、研究所内部の意見を拾うことができるとする森山執行役員が、自身の裁量範囲を調節することにより、過去のホンダの美点であったフラットな体制が生む「走る実験室」的な開発体制の再現を目指しているとものと見られる。

 

なお以下は、田辺豊治氏の略歴となる
1984年 本田技研工業(株)入社
1990~92年 McLaren Hondaチーム ゲルハルト・ベルガー担当エンジニア
1993~03年 IndyCar エンジン研究、レースエンジニア
2003年 B・A・R Hondaチーム ジェンソン・バトン担当チーフエンジニア
2004~05年 B・A・R Hondaチーム ジェンソン・バトン担当チーフエンジニア
兼Hondaレース・テストマネージャー
2006~07年 Honda Racing F1 Team ジェンソン・バトン担当チーフエンジニア
兼Hondaレース・テストマネージャー
2008年 (株)本田技術研究所 F1開発責任者
2009~13年 (株)本田技術研究所 量産エンジン開発
2013~17年 HPD シニア・マネージャー 兼 レースチーム チーフエンジニア

※Fédération Internationale de l’Automobile(国際自動車連盟)の略称

 

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坂上 賢治

NEXT MOBILITY&MOTOR CARS編集長。日刊自動車新聞を振り出しに自動車産業全域での取材活動を開始。同社の出版局へ移籍して以降は、コンシューマー向け媒体(発行45万部)を筆頭に、日本国内初の自動車環境ビジネス媒体・アフターマーケット事業の専門誌など多様な読者を対象とした創刊誌を手掛けた。独立後は、ビジネス戦略学やマーケティング分野で教鞭を執りつつ、自動車専門誌や一般誌の他、Web媒体などを介したジャーナリスト活動が30年半ば。2015年より自動車情報媒体のMOTOR CARS編集長、2017年より自動車ビジネス誌×WebメディアのNEXT MOBILITY 編集長。

松下次男

1975年日刊自動車新聞社入社。編集局記者として国会担当を皮切りに自動車販売・部品産業など幅広く取材。その後、長野支局長、編集局総合デスク、自動車ビジネス誌MOBI21編集長、出版局長を経て2010年論説委員。2011年から特別編集委員。自動車産業を取り巻く経済展望、環境政策、自動運転等の次世代自動車技術を取材。2016年独立し自動車産業政策を中心に取材・執筆活動中。

間宮 潔

1975年日刊自動車新聞社入社。部品産業をはじめ、自動車販売など幅広く取材。また自動車リサイクル法成立時の電炉業界から解体現場までをルポ。その後、同社の広告営業、新聞販売、印刷部門を担当、2006年に中部支社長、2009年執行役員編集局長に就き、2013年から特別編集委員として輸送分野を担当。2018年春から独立、NEXT MOBILITY誌の編集顧問。

片山 雅美

日刊自動車新聞社で取材活動のスタートを切る。同紙記者を皮切りに社長室支社統括部長を経て、全石連発行の機関紙ぜんせきの取材記者としても活躍。自動車流通から交通インフラ、エネルギー分野に至る幅広い領域で実績を残す。2017年以降は、佃モビリティ総研を拠点に蓄積した取材人脈を糧に執筆活動を展開中。

中島みなみ

(中島南事務所/東京都文京区)1963年・愛知県生まれ。新聞、週刊誌、総合月刊誌記者(月刊文藝春秋)を経て独立。規制改革や行政システムを視点とした社会問題を取材テーマとするジャーナリスト。

山田清志

経済誌「財界」で自動車、エネルギー、化学、紙パルプ産業の専任記者を皮切りに報道分野に進出。2000年からは産業界・官界・財界での豊富な人脈を基に経済ジャーナリストとして国内外の経済誌で執筆。近年はビジネス誌、オピニオン誌、経済団体誌、Web媒体等、多様な産業を股に掛けて活動中。

佃 義夫

1970年日刊自動車新聞社入社。編集局記者として自動車全分野を網羅して担当。2000年出版局長として「Mobi21」誌を創刊。取締役、常務、専務主筆・編集局長、代表取締役社長を歴任。2014年に独立し、佃モビリティ総研を開設。自動車関連著書に「トヨタの野望、日産の決断」(ダイヤモンド社)など。執筆活動に加え講演活動も。

熊澤啓三

株式会社アーサメジャープロ エグゼクティブコンサルタント。PR/危機管理コミュニケーションコンサルタント、メディアトレーナー。自動車業界他の大手企業をクライアントに持つ。日産自動車、グローバルPR会社のフライシュマン・ヒラード・ジャパン、エデルマン・ジャパンを経て、2010年にアーサメジャープロを創業。東京大学理学部卒。

福田 俊之

1952年東京生まれ。産業専門紙記者、経済誌編集長を経て、99年に独立。自動車業界を中心に取材、執筆活動中。著書に「最強トヨタの自己改革」(角川書店)、共著に「トヨタ式仕事の教科書」(プレジデント社)、「スズキパワー現場のものづくり」(講談社ピーシー)など。