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2018年11月11日【エネルギー】

55年続いた高速道100キロ規制に風穴、引き上げ実証で見えた課題

中島みなみ

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高速規制速度110km/h。静岡試行から1年、120km/h引上げの課題とは

 

 高速道路の規制速度を引き上げる試行が、昨年11月から静岡県内の新東名高速、同12月から岩手県内の東北道で続いている。

 

この試行を踏まえ過去半世紀以上の期間、普通乗用車で時速100km/hに固定されていた交通法令は変えられるのか。試行1年で見えた課題とは何かを探る。

 

 かつて第18回・東京オリンピック開催を目前に、日本全体がモータリゼーションの到来に沸き立った高度成長期。当時の政府は、輸送の大動脈構想として東日本から名古屋に至る7本の高速道路案を打ち立て最終調整に入った。

 

一方、西日本では愛知県小牧市の小牧ICを起点に岐阜県、滋賀県、京都府、大阪府から兵庫県西宮市の西宮ICへと至る名神高速道路が1963年に開通。

 

その後、世田谷区の東京ICから、神奈川県と静岡県を経て愛知県の小牧ICへと結ぶ起伏に富み、海岸線や尾根を見上げる山あいの懐を巡り、近隣の都市近郊も通過するルートとして東名高速道路の敷設計画も加速。

 

1968年の「東京IC―厚木IC」を皮切りに「富士IC―静岡IC」「岡崎IC―小牧IC」の開通を経た1969年。遂に東名高速道路全線が開通した。

 

Photographer:W-nexco

 

 しかし当時の高速道路網の多くは、その雄大なローケーションゆえに雨や濃霧、降雪、台風に加えて都市近隣の配慮など多く環境要素を前提としていたことから、一貫して日本の高速道路(高速自動車国道の本線車道で対面通行ではなく、かつ速度指定のない区間)に於ける普通乗用車の最高速度は時速100km/hと不変だった。

 

そして半世紀を迎えて久しい今日、高速道路の速度規制に疑問の声があがる。

 

「実態にあった速度規制にすべきではないか。」試行のきっかけは古屋圭司元国家公安委員長の問題提起だった。有識者が打ち出した方向性をもとに、警察庁は第一段階として110km/hでスタート。

 

1年間の交通状況を見て、さらに時速120km/hへの引き上げなどを検討する方針を開始当初に明らかにした。その1年が静岡・新東名で経過し、静岡県交通部と高速道路交通警察隊が交通概要を公表した。

 

静岡県警察本部が設置されている静岡県庁舎別館

 

引上げでも人身事故は減少

 

 110km/h試行で最も心配されたのは、交通事故の増加だ。最高速度が変わっても安全でなければならない。試行区間の森掛川~新静岡の上下線約50km間の試行後1年間とその前年の1年間を比較した交通事故発生状況は次の通りだ。《》内が前年の1年間。

 

・人身事故 26件 《42件》

・物損事故 201件《188件》

 

人身事故は100km/h規制の時より16件、約38%減少した。物損は21件、約12%の増加だった。人身事故の内訳は、

・死亡事故 1件

・重傷事故 4件

・軽傷事故 21件

 

死亡事故は前年と同数。その1件は今年3月10日で試行区間内の掛川市内で起きた。上り線の草刈り作業中、大型トラックが渋滞車列に続く乗用車と大型トラックに追突した事故だ。

 

 事故要因も気になる。人身・物損の全事故の約60%は追突(73件)と進路変更時の側方不注意(57件)だった。物件事故のうち93件は単独事故。単独事故の40件は落下物に乗り上げるなどの事故だった。

「多くは前をしっかり見ていないなどの不注意によるもので、速度の引き上げによる(大型トラックなどとの)速度差などによる事故はなかった」(交通部)

 

100km/hに慣れているから、最高速度が上がると運転が怖いという人もいる。110km/hに引き上げられると、引き上げ区間の平均速度も上がるのではないか。これも心配されたことの1つだ。

 

もし高速道路の最高速度を上げることで、引き上げ分だけ平均速度が上がるのであれば、規制速度の引き上げは、より慎重にならざるを得ない。

 

 

平均速度も、ほぼ同じで変化なし

 

 中日本高速の通過車両を計測するトラフィック・カウンターの試行期間と施行前の年間平均速度は次の通りだ。《》内は試行前。

 

上り線

・第1走行車線 91.3km/h《91.5km/h》

・第2走行車線 103.3km/h《103.2km/h》

・追越車線 117.6km/h《117.8km/h》

 

下り線

・第1走行車線 87.2km/h《87.5km/h》

・第2走行車線 101.8km/h《101.0km/h》

・追越車線 118.0km/h《116.8km/h》

 

試行の1年間を見る限りは、最高速度を引き上げても車両の速度はほぼ変化がなかったことになる。自動車は法定速度が決まっていなくても、道幅や曲線、路面など道路状況によって多くの車両が平均的に出す速度(=実勢速度)は、一定しているという交通工学の研究者もいる。

 

ただ、高速道路始まって以来の最高速度引き上げに対して、静岡県警は高速隊だけでなく、航空隊のヘリコプターとも連携した取締りを実施。中日本高速も電光表示などで車間距離保持の注意を促すなど、特別の対策をとってきた。交通部もさらに詳細な分析が必要だという。

主な違反状況は次の通りだ。

 

・速度超過 1,661件(32.9%)

・通行帯 2,588件(51.3%)

・車間距離不保持 158件(3.1%)

・追越不適 72件(1.4%)

 

違反は速度超過と、追越車線を走り続けるなどの通行帯違反の2種類だけで80%を超える。違反状況は、何を重点に取締りをしていたかによって変わる。今年は速度引き上げとは別の要因として、あおり運転による事故が目立ち、その悪質性が注目されたことなどが取締り結果に影響しているため、施行前後を比較することができなかった。

 

山本順三国家公安委員長は、閣議後会見で速度引き上げに向けての検討課題を語った。撮影=中島みなみ

 

速度引き上げのオプションは複数ある

 

 施行開始直前には、120km/hへの引き上げ目標だけが取り沙汰されたが、試行後の全国展開の青写真は公開されていない。静岡県と岩手県の試行区間だけ考えていも、110km/hを120km/hにするのか、それとも110km/hを維持したまま試行区間を延長するのか、あるいは別の試行区間を増やすのか。静岡県警はいずれにしろ岩手県の試行結果が出揃うのを待つ構えだ。

 

9日の閣議後会見で山本順三国家公安委員長は、まもなく1年を迎える岩手県での試行も含めて、引き上げについてこう語った。

「最高速度規制は交通の安全と円滑のバランス、ここが一番のポイントになると思うが、それに配意しつつ、合理的な規制をすることが重要。現在取り組んでいる試行の状況を踏まえて、引き続き最高速度規制のあり方について検討したい」

110km/hのその先が見えるまでには、まだ少し時間が掛かりそうだ。(取材執筆:中島みなみ/中島南事務所)

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坂上 賢治

NEXT MOBILITY&MOTOR CARS編集長。日刊自動車新聞を振り出しに自動車産業全域での取材活動を開始。同社の出版局へ移籍して以降は、コンシューマー向け媒体(発行45万部)を筆頭に、日本国内初の自動車環境ビジネス媒体・アフターマーケット事業の専門誌など多様な読者を対象とした創刊誌を手掛けた。独立後は、ビジネス戦略学やマーケティング分野で教鞭を執りつつ、自動車専門誌や一般誌の他、Web媒体などを介したジャーナリスト活動が30年半ば。2015年より自動車情報媒体のMOTOR CARS編集長、2017年より自動車ビジネス誌×WebメディアのNEXT MOBILITY 編集長。

松下次男

1975年日刊自動車新聞社入社。編集局記者として国会担当を皮切りに自動車販売・部品産業など幅広く取材。その後、長野支局長、編集局総合デスク、自動車ビジネス誌MOBI21編集長、出版局長を経て2010年論説委員。2011年から特別編集委員。自動車産業を取り巻く経済展望、環境政策、自動運転等の次世代自動車技術を取材。2016年独立し自動車産業政策を中心に取材・執筆活動中。

間宮 潔

1975年日刊自動車新聞社入社。部品産業をはじめ、自動車販売など幅広く取材。また自動車リサイクル法成立時の電炉業界から解体現場までをルポ。その後、同社の広告営業、新聞販売、印刷部門を担当、2006年に中部支社長、2009年執行役員編集局長に就き、2013年から特別編集委員として輸送分野を担当。2018年春から独立、NEXT MOBILITY誌の編集顧問。

片山 雅美

日刊自動車新聞社で取材活動のスタートを切る。同紙記者を皮切りに社長室支社統括部長を経て、全石連発行の機関紙ぜんせきの取材記者としても活躍。自動車流通から交通インフラ、エネルギー分野に至る幅広い領域で実績を残す。2017年以降は、佃モビリティ総研を拠点に蓄積した取材人脈を糧に執筆活動を展開中。

中島みなみ

(中島南事務所/東京都文京区)1963年・愛知県生まれ。新聞、週刊誌、総合月刊誌記者(月刊文藝春秋)を経て独立。規制改革や行政システムを視点とした社会問題を取材テーマとするジャーナリスト。

山田清志

経済誌「財界」で自動車、エネルギー、化学、紙パルプ産業の専任記者を皮切りに報道分野に進出。2000年からは産業界・官界・財界での豊富な人脈を基に経済ジャーナリストとして国内外の経済誌で執筆。近年はビジネス誌、オピニオン誌、経済団体誌、Web媒体等、多様な産業を股に掛けて活動中。

佃 義夫

1970年日刊自動車新聞社入社。編集局記者として自動車全分野を網羅して担当。2000年出版局長として「Mobi21」誌を創刊。取締役、常務、専務主筆・編集局長、代表取締役社長を歴任。2014年に独立し、佃モビリティ総研を開設。自動車関連著書に「トヨタの野望、日産の決断」(ダイヤモンド社)など。執筆活動に加え講演活動も。

熊澤啓三

株式会社アーサメジャープロ エグゼクティブコンサルタント。PR/危機管理コミュニケーションコンサルタント、メディアトレーナー。自動車業界他の大手企業をクライアントに持つ。日産自動車、グローバルPR会社のフライシュマン・ヒラード・ジャパン、エデルマン・ジャパンを経て、2010年にアーサメジャープロを創業。東京大学理学部卒。

福田 俊之

1952年東京生まれ。産業専門紙記者、経済誌編集長を経て、99年に独立。自動車業界を中心に取材、執筆活動中。著書に「最強トヨタの自己改革」(角川書店)、共著に「トヨタ式仕事の教科書」(プレジデント社)、「スズキパワー現場のものづくり」(講談社ピーシー)など。