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2021年12月12日【経済・社会】

F1GP、フェルスタッペンが運を引き寄せ2021年の王座獲得

坂上 賢治

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2021年のFIAフォーミュラ・ワン世界選手権、第22戦アプダビGP(開催地:アラブ首長国連邦・ヤス島、開催期間:12月10~12日)の決勝レースが12月12日(日曜日)に1周5.281kmのヤス・マリーナ・サーキットを58周する形で行われた。(坂上 賢治)

 

 

決勝スタートでは、メルセデスのルイス・ハミルトンが先頭に躍り出て以降、終始優位なレース運びを繰り広げた。しかし最終周の58周目にレッドブル・ホンダのマックス・フェルスタッペンがトップを奪い、ホンダエンジン車に1991年のアイルトン・セナ以来30年振りのワールドチャンピオン(ドライバーズチャンピオン)をもたらした。

 

今年のF1シリーズは、最終戦を前にマックス・フェルスタッペン(レッドブル・ホンダ/年間勝利数9勝)と、ルイス・ハミルトン(メルセデス/年間勝利数8勝)が共にドライバーズタイトルポイント369.5点と、同点で並んだまま迎える異例の事態となった。

 

同点で最終戦を迎えたシーズンは、1974年のエマーソン・フィッティパルディ(マクラーレン・フォード)と、クレイ・レガッツォオーニ(フェラーリ)の対決以来であり、実に47年振り・ほぼ半世紀近く過去の事だ。

 

今回の22戦が、47年振りの並び立つ両雄の激突となれば、つまるところシンプルに最終ラップで前に居た側が勝者となる。

 

昨年、ヤス・マリーナで勝利を飾ったフェルスタッペンが、今年も昨年同様の強さを再現出来れば、事実上、エンジンコンストラクター「ホンダ」のラストレースを勝利で飾る事になる。

 

 

ちなみに来季の2022年は、レッドブル・レーシング・ホンダが「レッドブル・レーシング」に。スクーデリア・アルファタウリ・ホンダは「スクーデリア・アルファタウリ」となり、いずれもチーム名からホンダの名前は消える。

 

エンジン名も「レッドブル・パワートレインズ」となる予定だ。但しエンジンブランド移行の過渡期となる来年、ホンダは裏方としてのサポートを行うとしている。

 

さて、両初陣の1回目のフリープラクティスでは、メルセデス側の強さが侮れない展開となったものの、その後の予選セッションでは、マシンセッティングを上手く纏め上げたレッドブル・ホンダ側が、特にコース後半部(セクター2・3セクション)での速さを取り戻した。

 

実際、歴代でも希に見る激戦となった今回の予選セッションでは、フェルスタッペンのポールポジション獲得を助けるべく、レッドブル・ホンダは抜群のチームワークを発揮。

 

 

僚友セルシオ・ペレスのトゥ(スリップストリーム)を利用したフェルスタッペンが、予選ラップを通して思惑以上に上手くラップタイムを纏め上げ、今年最後のポールシッターに輝いた。

 

但し、フェルスタッペンは、決勝スタート時の使用タイヤが決まるQ(クオリファイ)2セッションで、当初予選用としていたミディアムタイヤ(決勝時のタイヤ交換で優位)にフラットスポットを作ってしまった。

 

そこでソフトタイヤで改めて走り直しを行い、その結果、決勝で使うスタートタイヤは、定番のミディアムタイヤを履くハミルトンとは異なる戦略(ミディアムタイヤ走り始めて→ハードタイヤで完走するという戦略は使えない)で決戦に挑む事になった。

 

そして翌12月12日の夕刻、気温24.7度・湿度57.3%・路面温度29.1度のドライコンディションで迎えた決勝スタートは、ポールポジションにフェルスタッペン。セカンドポジションにハミルトンという布陣でスタートシグナルがブラックアウトする。

 

 

本来、静止状態からスタートを切る環境下であるゆえ、路面を掴む力が強いソフトタイヤを履くフェルスタッペンが、ポールポジションからの蹴り出しの強さを活かせる。

 

従ってソフトタイヤのフェルスタッペンの方が有利である筈なのだが、実際のスタートで、フェルスタッペンは今シーズンを通して最も良くない部類のスタートをしでかす事となり、ハミルトンから大きく出遅れた。

 

この間、ハミルトンはマシンの動きを上手くコントロール。「第1コーナーまでの距離が短い」という同コースの特徴を活かし、首位を保ったまま第1コナーに突入した。対するフェルスタッペンは、折角のソフトタイヤを履いているという優位性を活かせず2番手に脱落した。

 

 

また3番手スタートのランド・ノリス(マクラーレン)は、後続のセルジオ・ペレス(レッドブル・ホンダ)や、カルロス・サインツ(フェラーリ)に抜かれ後退した。

 

その直後にはフェルスタッペンが、続く第6コーナーでハミルトンのイン側に飛び込んだ。この結果、アウト側にいたハミルトンはコースを飛び出し、そのままコースをショートカットして先頭の位置に戻っている。

 

この行為にレッドブル陣営は、コースのショートカットを不正として首位の明け渡しをスチュワード(審判)に要求。対してメルセデス陣営は「ハミルトンはフェルスタッペンに押し出された」と主張し不正請求は却下。レースは続行される。

 

以降、ハミルトンがファステスト・ラップを連発してリードを保ち、逆にフェルスタッペンは1秒、2秒と後退する様子が色濃く出始める。

 

 

なおこの間、後続では3番手ペレス、4番手サインツ、5番手ノリス、6番手シャルル・ルクレール(フェラーリ)、7番手角田裕毅(アルファタウリ)、8番手ボッタス、9番手エステバン・オコン(アルピーヌ)、10番手ダニエル・リカルド(マクラーレン)がポイント争いを激化させていた。

 

同後続グループでは、開幕戦で華々しい成果を残して以降は、着実な走りでコツコツとした進化を重ねてきた角田が、望外の好タイムを連発しながら、他のドライバーとの駆け引きを繰り返し、良いレース結果を残す片鱗を見せ始める。

 

一方、首位を争う先頭グループのふたりは、ハミルトンがフェルスタッペンを引き離し始め、当のフェルスタッペンは、14周目にグリップが落ちたソフトタイヤからハードタイヤに履き替えてレースに復帰するもポジションを下げてしまう。

 

 

対して首位を走るハミルトンは、慎重にタイミングを選んでタイヤ交換を行い2番手でコース復帰。結果フェルスタッペンはハミルトンから大きく水を空けられてしまう。

 

その間、タイヤ交換を手控えたため一時的なラップリーダーとなったのはペレスだ。そのペレスは2番手でコースに復帰したハミルトンの首位奪還を許さず、その勢いを殺ぐべくハミルトンの走りを抑え込んだ。

 

このペレスの援護によりフェルスタッペンは、暫くの間やむなく2番手を走り続けたハミルトンの背後に追い付いたのだが、その後、走行タイムをなかなか縮められず、以降も2番手を走り続けた。

 

なおフェルスタッペンが追い付くのを待っていたペレスは、直後に速やかにピットストップを行い、新品のハードタイヤに履き替えコースに復帰し3番手に付けた。

 

下位グループでは、今年がF1最後の出走となったキミ・ライコネン(アルファロメオ・レーシング)にブレーキトラブルが発生してフロントウイングを破損。ピットでノーズ交換を行ったが、ブレーキトラブルが改善せずリタイヤとなっている。

 

 

さらに36周目には、アルファロメオ・レーシングのアントニオ・ジョビナッツィがスローダウン。コース脇にマシンを止めてしまった事からバーチャルセーフティカーが発令。

 

その間にフェルスタッペンは新品のハードタイヤに換装。さらにペレスも2セット目のハードタイヤに交換して、レッドブル・ホンダ陣営は、メルセデスのハミルトンを追撃する態勢に入った。

 

それでもハミルトンは、対抗してあえてタイヤ交換を行う事なくフェルスタッペンとペレスを自らの走りで引き離しに掛かる。しかしここで、ニコラス・ラティフィ(ウィリアムズ)が第14コーナーのバリアに衝突してクラッシュ。マシンの撤去作業のため今度は、リアルなセーフティカーが出た。

 

これを見逃さなかったレッドブル陣営は、フェルスタッペンとペレスのタイヤをソフトタイヤに交換。しかしハミルトンはこの動きに対応していくタイミングを逸してしまう。

 

 

しかし一方で新品タイヤの交換に成功したレッドブル・ホンダ陣営も、レース終盤に向けてのチーム体制は盤石ではなかった。

 

というのはマシンの撤去作業が、想定以上に長引き、残り周回数がどんどんと削られていく状況であったからだ。またその間、不運にもペレスは、マシントラブルによりピットに車両を停めたままリタイヤの憂き目に遭った。

 

またこのマシンの撤去作業中は、F1レースディレクターのマイケル・マシにより、前車の追い抜きを禁じていたため、首位を走るハミルトンとフェルスタッペンの間には、周回遅れのマシンが溜まって数珠繋ぎになっていた。

 

しかしその後のマシン撤去を終えたタイミングで、先のマイケル・マシは、その決定を覆して周回遅れの追い越しをフェルスタッペンに許可。なんとその時の周回数は57周目の終わり。

 

 

この機に乗じて、新品のソフトタイヤを履くフェルスタッペンが一気に加速して周回遅れを抜き、さらに最終周でセーフティカーが解除された事で、フェルスタッペンはハミルトンとセーフティカーラインのぎりぎりまで駆け引きを重ねながら遂に首位を奪う。

 

結果、その日のレースを終始支配してきたハミルトンは、改めてフェルスタッペンを追撃し並び掛ける姿勢を示すものの、既に長らく履いていたハードタイヤの寿命が尽きて、追い縋る事は適わず。

 

なんと58周目にして初めて首位に立ったフェルスタッペンは、そのままチェッカーフラッグを潜り、自身初のワールドチャンピオンのタイトルを手中にした。

 

同タイトルは、レッドブル・レーシングとしては2013年以来8年振り。なおコンストラクターズタイトルは、メルセデスが8連覇を達成している。

 

 

3位はサインツ、4位はルーキーイヤーをベストリザルトで飾った角田、5位ガスリー(アルファタウリ)、6位は来季メルセデスからアルファロメオへ移籍となるバルテリ・ボッタス、7位ランド・ノリス、8位フェルナンド・アロンソ(アルピーヌ)、9位オコン、10位シャルル・ルクレール(フェラーリ)となった。

 

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坂上 賢治

NEXT MOBILITY&MOTOR CARS編集長。日刊自動車新聞を振り出しに自動車産業全域での取材活動を開始。同社の出版局へ移籍して以降は、コンシューマー向け媒体(発行45万部)を筆頭に、日本国内初の自動車環境ビジネス媒体・アフターマーケット事業の専門誌など多様な読者を対象とした創刊誌を手掛けた。独立後は、ビジネス戦略学やマーケティング分野で教鞭を執りつつ、自動車専門誌や一般誌の他、Web媒体などを介したジャーナリスト活動が30年半ば。2015年より自動車情報媒体のMOTOR CARS編集長、2017年より自動車ビジネス誌×WebメディアのNEXT MOBILITY 編集長。

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1975年日刊自動車新聞社入社。編集局記者として国会担当を皮切りに自動車販売・部品産業など幅広く取材。その後、長野支局長、編集局総合デスク、自動車ビジネス誌MOBI21編集長、出版局長を経て2010年論説委員。2011年から特別編集委員。自動車産業を取り巻く経済展望、環境政策、自動運転等の次世代自動車技術を取材。2016年独立し自動車産業政策を中心に取材・執筆活動中。

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1975年日刊自動車新聞社入社。部品産業をはじめ、自動車販売など幅広く取材。また自動車リサイクル法成立時の電炉業界から解体現場までをルポ。その後、同社の広告営業、新聞販売、印刷部門を担当、2006年に中部支社長、2009年執行役員編集局長に就き、2013年から特別編集委員として輸送分野を担当。2018年春から独立、NEXT MOBILITY誌の編集顧問。

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日刊自動車新聞社で取材活動のスタートを切る。同紙記者を皮切りに社長室支社統括部長を経て、全石連発行の機関紙ぜんせきの取材記者としても活躍。自動車流通から交通インフラ、エネルギー分野に至る幅広い領域で実績を残す。2017年以降は、佃モビリティ総研を拠点に蓄積した取材人脈を糧に執筆活動を展開中。

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(中島南事務所/東京都文京区)1963年・愛知県生まれ。新聞、週刊誌、総合月刊誌記者(月刊文藝春秋)を経て独立。規制改革や行政システムを視点とした社会問題を取材テーマとするジャーナリスト。

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経済誌「財界」で自動車、エネルギー、化学、紙パルプ産業の専任記者を皮切りに報道分野に進出。2000年からは産業界・官界・財界での豊富な人脈を基に経済ジャーナリストとして国内外の経済誌で執筆。近年はビジネス誌、オピニオン誌、経済団体誌、Web媒体等、多様な産業を股に掛けて活動中。

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1970年日刊自動車新聞社入社。編集局記者として自動車全分野を網羅して担当。2000年出版局長として「Mobi21」誌を創刊。取締役、常務、専務主筆・編集局長、代表取締役社長を歴任。2014年に独立し、佃モビリティ総研を開設。自動車関連著書に「トヨタの野望、日産の決断」(ダイヤモンド社)など。執筆活動に加え講演活動も。

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株式会社アーサメジャープロ エグゼクティブコンサルタント。PR/危機管理コミュニケーションコンサルタント、メディアトレーナー。自動車業界他の大手企業をクライアントに持つ。日産自動車、グローバルPR会社のフライシュマン・ヒラード・ジャパン、エデルマン・ジャパンを経て、2010年にアーサメジャープロを創業。東京大学理学部卒。

福田 俊之

1952年東京生まれ。産業専門紙記者、経済誌編集長を経て、99年に独立。自動車業界を中心に取材、執筆活動中。著書に「最強トヨタの自己改革」(角川書店)、共著に「トヨタ式仕事の教科書」(プレジデント社)、「スズキパワー現場のものづくり」(講談社ピーシー)など。