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2024年6月18日【イベント】

アストンマーティン、 2025年のル・マンに復帰

坂上 賢治

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アストンマーティンとワークスチームのHeart of Racing Team(ハート・オブ・レーシング・チーム)は6月14日(フランス発)、来季2025年に2台のハイパーカーのValkyrie(ヴァルキリー)AMR-LMHで、ル・マン24時間レースのトップクラスに復帰することを明らかにした。英国のウルトラ・ラグジュアリー・スポーツカー・ブランドは、同有レースで1959年以来となる総合優勝を狙う。

 

このヴァルキリーは、フォーミュラ1 レッドブル・レーシングとの共同プロジェクトとして開発された超高級スポーツカー(ハイパーカー)。ヴァルキリーとは北欧神話に登場する戦死した英雄の魂を導く半神「ワルキューレ(Walküre)」の英語表記で、アストンマーティンの特別なモデルとして受け継がれてきた”V”のイニシャルが与えられたマシンとなる。

 

 

アストンマーティンは、ル・マン24時間レースへのエントリーが受理されることを条件に、2025年のWEC(FIA世界耐久選手権)の全ラウンドに、このヴァルキリーをベースとした2台のヴァルキリーAMR-LMH仕様車を投入する。

 

これは、ル・マンのイベント主催者であるACO(オートモビル・クラブ・ド・ルエスト)と、モータースポーツの統括機関であるFIA(国際自動車連盟)によるレギュレーション変更に従うもの。

 

 

というのは2025年以降、ル・マン24時間に参戦する全てのメーカーは、ハイパーカー・クラスに少なくとも2台のマシンを投入しなければならないとされているからだ。この新ルールは、今朝、今年のル・マン24時間レースに先立って行われた公式記者会見で発表された。

 

このレギュレーション変更を受けたアストンマーティンとそのワークスパートナーであるハート・オブ・レーシング・チームは、「モータースポーツ環境の改善に寄与するために協力し合い、今回のレギュレーション変更を喜んで支持します。アストンマーティンは今後もヴァルキリーAMR-LMHプログラムの元で、ACOとFIAと緊密に協力していきます」とWECへの参戦の意志を表明した。

 

 

加えてアストンマーティンの耐久モータースポーツ責任者のアダム・カーター氏は、「アストンマーティンは、ブランドの草創期から耐久レースに挑戦してきました。実際、初めてル・マンに参戦したのは95年以上も前のことで、これは他の公道走行可能なハイパーカーのメーカーには類をみないことです。

 

私たちはこの素晴らしいイベントとの関係を大変誇りに思っており、そのことを踏まえると、WECの掲げるハイパーカーのコンセプトに真剣に取り組み、誰もが知るアストンマーティンの翼を備えたマシン を、ル・マン24時間レースを含む国際的なスポーツカーレースの最前線に復活させることは当然のことです。

 

2025年には、ワークスチームのハート・オブ・レーシング・チームと共に、アストンマーティン製ハイパーカーのヴァルキリーAMR-LMHの2台を投入し、世界最高レベルのスポーツカー・メーカーの豪華ラインアップと競い合う予定です。そして、その最前線での戦いに備え、全力で準備を整えています。

 

ヴァルキリーAMR-LMHプログラムは順調に進んでおり、今夏後半のサーキットデビューに向けた大規模な開発が行わる最中にある。その後、秋に予定されているホモロゲーション取得に先立ち、集中的なテスト期間を設けて走行距離を重ね、可能な限りのことを理解する予定だという。

 

 

元々ベースモデルとなったヴァルキリーのシャシーは、レース用に最適化されたカーボンファイバー製であり、搭載されたパワーユニットもロードカーのヴァルキリー用に製造されたコスワース製自然吸気6.5リッターV12エンジンであり、ヴァルキリーAMR-LMHでもこの改良版を搭載した。

 

このエンジンは、標準仕様で11,000rpmの最高回転数にまで上り詰め、1,000bhpを超えるパワーを発揮する。これを基にハイパーカー・クラスに適したパワーバランスに仕立てるため強化され、トップレベルの長距離レースの過酷な条件に耐えるように開発された。

 

但し当初サーキット専用車両としてヴァルキリーAMR Proと同様、よりコンペティティブなレース専用車ヴァルキリーAMR-LMHには、公道仕様車には搭載されているバッテリー+電気ハイブリッドシステムは搭載されない。

 

目下、ヴァルキリーAMR-LMHの開発は順調に進行しており、最近ではアストンマーティンのシルバーストーンのテスト施設とポルトガルのポルティマオ・サーキットで、インテグラルシステムの走行試験が行われた。

 

また、ハート・オブ・レーシング・チームは最近、WECプログラムのため英国にチーム本部を設立した。そしてシルバーストーンを拠点にアストンマーティン・パフォーマンス・テクノロジーズの協力を得つつ、ヴァルキリーAMR-LMHが開発・製造される。

 

アストンマーティンはハート・オブ・レーシング・チームと共に、米国の耐久レース・シリーズであるIMSAウェザーテック・スポーツカー選手権のGTPクラスへの参戦も計画中。このプログラムは、ハート・オブ・レーシング・チームが北米に置くフェニックス本部を拠点に消化していく予定となっている。

 

 

ハート・オブ・レーシング・チームのチーム代表を務めるイアン・ジェームズ氏は、「WECが導入した新ルールに基づく方針により、WECハイパーカー・クラスに複数の車両を投入する計画を前倒しする必要に迫られました。

 

この変更により、明らかに当初想定していたオリジナル計画に基づくプロセスが短縮されることにはなりましたが、2台のマシンが参戦すること自体は大変嬉しく思います。

 

このクラスはここ数年間で急成長を遂げ、レース内容は素晴らしく、ファンとの交流の格好の機会を提供しており、その一員となることを誇りに思います。これから計り知れない挑戦が待ち受けていると思いますが、その過程も今から楽しみにしています」と述べている。

 

 

最後にかつてアストンマーティンは、ル・マンらに於いて過去95年間(第一回大会の実施時から)に亘って、延べ240人以上のドライバー達が、27タイプのシャシーとエンジンの組み合わせで脈々とアストンマーティンを走らせてきた。

 

そんなアストンマーティンが今日に於いて、これほどの成功をもたらし、アストンマーティンのDNAが競争の本質から生み出されたものであることを証明できる夢の舞台は、ル・マン24時間レースをおいて他にはない。

 

加えてアストンマーティンが、来季からハイパーカー・クラスに参戦することにより、同ブランドは、ジェントルマン・レーサーからスポーツカーレースの頂点に至る耐久レースをー舞台に孤高の存在感を示すことになる。

 

実際、2025年以降、アストンマーティンはスポーツカー及びGTレースの全レベル(ハイパーカーからGT4まで)、のみならずFIAフォーミュラ1世界選手権にも参戦する唯一の英国籍のウルトラ・ラグジュアリー・スポーツカー・メーカーとなる。

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坂上 賢治

NEXT MOBILITY&MOTOR CARS編集長。日刊自動車新聞を振り出しに自動車産業全域での取材活動を開始。同社の出版局へ移籍して以降は、コンシューマー向け媒体(発行45万部)を筆頭に、日本国内初の自動車環境ビジネス媒体・アフターマーケット事業の専門誌など多様な読者を対象とした創刊誌を手掛けた。独立後は、ビジネス戦略学やマーケティング分野で教鞭を執りつつ、自動車専門誌や一般誌の他、Web媒体などを介したジャーナリスト活動が30年半ば。2015年より自動車情報媒体のMOTOR CARS編集長、2017年より自動車ビジネス誌×WebメディアのNEXT MOBILITY 編集長。

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1975年日刊自動車新聞社入社。編集局記者として国会担当を皮切りに自動車販売・部品産業など幅広く取材。その後、長野支局長、編集局総合デスク、自動車ビジネス誌MOBI21編集長、出版局長を経て2010年論説委員。2011年から特別編集委員。自動車産業を取り巻く経済展望、環境政策、自動運転等の次世代自動車技術を取材。2016年独立し自動車産業政策を中心に取材・執筆活動中。

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1975年日刊自動車新聞社入社。部品産業をはじめ、自動車販売など幅広く取材。また自動車リサイクル法成立時の電炉業界から解体現場までをルポ。その後、同社の広告営業、新聞販売、印刷部門を担当、2006年に中部支社長、2009年執行役員編集局長に就き、2013年から特別編集委員として輸送分野を担当。2018年春から独立、NEXT MOBILITY誌の編集顧問。

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日刊自動車新聞社で取材活動のスタートを切る。同紙記者を皮切りに社長室支社統括部長を経て、全石連発行の機関紙ぜんせきの取材記者としても活躍。自動車流通から交通インフラ、エネルギー分野に至る幅広い領域で実績を残す。2017年以降は、佃モビリティ総研を拠点に蓄積した取材人脈を糧に執筆活動を展開中。

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(中島南事務所/東京都文京区)1963年・愛知県生まれ。新聞、週刊誌、総合月刊誌記者(月刊文藝春秋)を経て独立。規制改革や行政システムを視点とした社会問題を取材テーマとするジャーナリスト。

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1970年日刊自動車新聞社入社。編集局記者として自動車全分野を網羅して担当。2000年出版局長として「Mobi21」誌を創刊。取締役、常務、専務主筆・編集局長、代表取締役社長を歴任。2014年に独立し、佃モビリティ総研を開設。自動車関連著書に「トヨタの野望、日産の決断」(ダイヤモンド社)など。執筆活動に加え講演活動も。

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株式会社アーサメジャープロ エグゼクティブコンサルタント。PR/危機管理コミュニケーションコンサルタント、メディアトレーナー。自動車業界他の大手企業をクライアントに持つ。日産自動車、グローバルPR会社のフライシュマン・ヒラード・ジャパン、エデルマン・ジャパンを経て、2010年にアーサメジャープロを創業。東京大学理学部卒。

福田 俊之

1952年東京生まれ。産業専門紙記者、経済誌編集長を経て、99年に独立。自動車業界を中心に取材、執筆活動中。著書に「最強トヨタの自己改革」(角川書店)、共著に「トヨタ式仕事の教科書」(プレジデント社)、「スズキパワー現場のものづくり」(講談社ピーシー)など。