以降、日本国内の自動車販売規模は拡大の一途を辿り、1968年3月末には全国43店網という体制で「トヨタオート店」が発足した。 さらに高度成長の余韻が残る1970年代後半、500万台規模を目指そうとする勢いの国内登録車市場(軽自動車除く)でシェア40%を確保るべく1980年4月に英語で「展望」を意味する「ビスタ(VISTA)店」を発足。これが後に「オート店」と統合して「ネッツ店」となっている。
この4チャンネル体制が今後、何らかの改革に向かう可能性については、かねてよりトヨタが首都圏の販社再編を発表して以降、外部から見ても「その時期を占うだけ」という状況にあったのだが、一方で永らく地域に密着した接客でトヨタの販売首位を支えてきた200社を超える地場の独立系経営者への気遣いもあり、トヨタといえども早々には動き難いだろうと読んでいた。それゆえに今回の動きは想定外に早かった。
ただ国内の新車販売市場は、遠からず急速な縮小に向かうこと自体確かであり、そうなってしまった後では、各販社も赤字転落後で動きが取り難くなる可能性がある。
実際、来年10月には消費税10%の引き上げも控えており、従来型の系列店維持は不可能と判断し、「のれん」型への移行を決断したのだろう。
なおトヨタは今回の全系列・全車種扱いを契機に、旧来型の自動車メーカーからMaaS企業への進化を目指しており、販社に対してカーシェアリングサービスなどの次世代事業への移行を促すものと見られる。
いわばこれはトヨタが創設以来堅持してきたビジネスモデルの大転換を意味している。
今後トヨタ自動車と販社は、「売れるクルマを造る責務」と「地域で独自の供給車種を販売する」という車両拡販での対等で共に切磋琢磨するという関係を終え、トヨタ主導で新たな事業の地平へ共に漕ぎ出すという関係に移る。
しかし旧来の車販面を考えると、例え軽自動車からアッパークラスまでの全車種を1店舗で取り揃えるからといって、同じトヨタブランド車を乗り継ぐリピーターを生むとは思えず、試乗・購入・アフターサービス・買い替えに至る顧客満足度をバリューチェーン全体でいかに実現していくのか。そもそも新たなビジネスモデルの創造を踏まえても、そこには個々販社の個性が重要になる。
この際、販社の個性をいかに薄めずに協調関係を維持していくのか、その手腕はトヨタ経営陣の舵取り次第だ。
一方でこの国内販売体制の刷新といううねりは、トヨタ系列販社間の競争を生み出し、これが台風の目となって他社メーカー店もその影響を受けざる得ない状況に陥る。
自動車業界人のなかでもその捉え方は様々だが、人よっては「過剰」とも称するトヨタの危機意識が今概要の原点だ。ただし競合メーカー各社はこれを対岸の火事として眺めている状況ではない。トヨタ以外のメーカー各社も、未来に向け自社ブランドの生き残りを、より俊敏に考えていかざるを得ない。
それは後のビジネスマン達の創作であるともいわれるダーウィンの進化論の一節をなぞらえることに他ならない。「この世に生き残るものは、最も力の強いものか。そうではない。最も頭のいいものか。そうでもない。それは、より俊敏に変化に対応できるものである」( MOTOR CARSから転載 )