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2024年7月18日【中古車】

1000万円超の中古バイクが続出中の理由

坂上 賢治

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中古バイクが最高値を更新中

 

近年、中古二輪車市場で1,000万円超の取引が続出しているカテゴリがある。それは1990年代まで製造販売されていたナナハンこと750ccのレーサーレプリカと、ホモロゲ―ションモデル群だ。

 

ちなみに上記のレーサーレプリカとは、レース参戦車を公道走行できるようにアジャストして市販化された機種であり、ホモロゲーションモデルとは、公道走行可能な市販車ベースで競われるレースに参戦するため、レギュレーションとして課せられた生産台数をクリアするために市販化された車体を指す。

 

では750ccのレーサーレプリカと、ホモロゲ―ションモデルがなぜ高いのか?その答えは、レースシーンが最も盛り上がっていた時代に鮮烈な記録と記憶を残したことにある。当時SBK( 公道向け市販車で競われる最高峰のレース )のレギュレーションが4気筒は750ccまでであったこと。販売数よりもレースに出てで勝つことを優先した結果、高額かつハイスペックな限定車が多かったことが挙げられる。

 

更に750ccのレーサーレプリカとホモロゲ―ションモデル人気が、世界を股に掛けていることも、近年の相場高騰を加速化させている。 具体的には、強い外貨を持った海外勢が国内相場以上の金額で購入していることでプレミアム度が増している。

 

そこでまずは、ナナハン レプリカが中古バイクの史上最高値を更新し続けている事実をデータで把握して貰い、続いて「超高額で取引されている750ccのレーサーレプリカとホモロゲ―ションモデルのTOP車種を紹介する。

 

過去10年の相場から見えてくる事実

 

最初に事実関係を把握するべく、過去10年間で中古バイクの相場がどう推移してきたのかを見たい。下記グラフが過去10年間の相場推移だ。なおグラフが示している取引額とは、買取業者が査定額を算出する際の指標となっている業者間オークションの取引額だ。

 

 

 

上記グラフタイトルの「業者間オークション」とは、買取業者の最大の転売先であり、販売業者の最大の仕入れ先として年間に約20万台のバイクが取引される会員業者間の市場を指す。端的に言えば、業者間の取引額=販売業者の仕入れ額=買取業者の転売額=中古バイクの相場となる。

 

そんな過去10年間(2019年まで)で、400万円超で落札されたのは下記5機種だけ。
・FL1200:(2015年に520万円)ビンテージハーレー
・EL1000:(16年に850万円)1950’s ナックルヘッド
・NR750:(17~19年に500万円台)最高額の定番
・Z1000S1:(17年に400万円)37台限定のホモロゲ
・H2R:(15年に510万円)326馬力の規格外レーサー

 

つまり2019年までは400万円以上での落札自体がレアケースだった。しかし2020年のコロナバブルから一気に潮目が変わる。このコロナバブルとは、新車供給の停滞を受けて中古価格が異常高騰した現象で、2021年の最盛期には400万円超で取引された機種が一気に14機種にまで増えた。

 

新車供給の回復によってコロナバブル期に(国内の需給で)異常高騰した機種の相場は反落するのだが、2022年に史上初めて1,000万円の大台を突破する機種が出現した。

 

その背景には、世界的なコレクター市場が存在する希少機種が円安と海外の物価高の影響を受けて高騰していることが挙げられる。円安が進んだ2023年と2024年には遂に1,500万円を突破する機種が出現した。

 

上記グラフで言えば、薄緑で網掛けしている領域になるのだが。まさに中古バイクの史上最高値を更新し続けているオートバイの機種群として、1990年代までに製造されたナナハン・レプリカやホモロゲーションが浮かび上がる。

 

それでは具体的にどの機種がどのような理由で史上最高値を更新し続けているか。最高取引額のトップ車種は以下の通りとなる。

 

第1位:NR750
落札台数:7台(2022年7月~2024年6月)
最高落札額:1,592万円(2024年)
平均落札額:1,005万円(2022年7月~2024年6月)
最低落札額:600万円(2022年)

 

 

堂々の第一位は1992年モデルとして300台限定で発売されたNR750。そのルーツは、ワークスマシン( レース専用車 )で競われる世界最高峰のレースWGP( 現MotoGP )向けに、RSC( 現HRCでホンダのレース部門会社 )が1979年に投入したマシンNR500に遡る。

 

ライバル車に対しての特異点として、気筒当たり8バルブ・楕円ピストン・4ストロークのV型4気筒エンジンが挙げられるが、出場を果たした1982年までWGPでは1度もポイントを獲得するには至らなった。

 

ケニー・ロバーツ、エディー・ローソン、フレディ・スペンサー、ケビン・シュワンツといったトップライダーが130馬力/120kg 台のマシンに跨りデッドヒートを繰り広げていた時代。

 

ライバル車は、1982年まで7シーズン連続してWGPタイトルを獲得したRG500やYZR500( 1973~2002年 )等になるが、この両機は空前絶後となるGPマシンレプリカのRZV500R( 1984年 )、RG500ガンマ( 1985年 )として発売された。

 

1983年シーズンからHRCは、2ストロークV型3気筒を積んだNS500で戦うことになりNRは一旦鳴りを潜めるのだが、 1987年のル・マン24時間耐久レースで、HRCワークスマシンNR750がデビューを果たす。

 

しかしながら完走は果たせなかった。因みにエンジンは同じく楕円ピストンの32バルブV型4気筒であったが、最終82年NR500比で30馬力以上出力が高められ155馬力( 15,250回転 )となっていた。

 

1992年モデルで市販化されたNR750はワークスマシンNR750のレプリカではあるが、レーサー志向「そのまんまレプリカ」とは趣が異なる。タンクカバーからシートカウルまで一体型となった外装にはレーサーグラフィックを排除した深紅のグラフィックが採用され、一見するとツアラーにも見えるスタイリングだ。

 

その背景には、ベースのワークスマシンが輝かしい戦績を残せなかった点に加えて、 SBK( 世界スーパーバイク選手権 )参戦用のホモロゲーション機で且つタイトルを獲得した1987年のVFR750R( RC30 )や1994年のRVF750( RC45 )との差別化が必要だったと考えられる。

 

なお同車の最大の特徴であり、後にも先にもNRにのみ組み込まれた楕円形ピストンを改良して32バルブのまま量産市販化された1992年のNR750。そのコンセプトはピストン形状同様に唯一無二のオリジナリティーであったことが車体から伺える。

 

300台限定で発売された同車であるがその内訳は下記となる。
・国内向け200台( 77馬力/11,500回転 )
・海外向け100台( 130馬力/14,000回転 )

 

NR750がエポックメイキングであった理由の1つに小売価格が挙げられる。バブル景気最中に発売されたとあってその小売価格は520万円。数多くの独自パーツを剛性に奢ったことでまさにバブル級の小売価格での登場となった。

 

ちなみに当時、HONDA製バイクで最大排気量を誇っていたのが1520ccのゴールドウイング。1992年型は北米生産のため輸入モデルであったが上位グレードSEの国内販売価格は215万円であった。更に北米向けの売価は5万$であり当時のレートで約625万円となっていた。これは当時ハーレーのエントリーモデルXLH-883の10倍以上の価格設定であった。

 

そうしたなかで同車が高額取引(買取査定)対象となっている理由を列記すれば
・ワークスマシン由来で唯一無二のエンジン機構を採用
・バブル期に豪華なパーツを多数奢って超高額の小売価格が設定されていた
・新車供給が細り中古バイク相場が高騰したコロナ禍相場の波に乗った
・急速な円安とインフレで従来の2割増の金額で仕入れが可能となっている海外勢の存在などが挙げられる。

 

機種:NR750
年式:1992年
販売数:300台(国内200台/海外100台)
当時の価格:520万円(北米仕様:50,000$)
最大馬力:77馬力@11,500回転(海外仕様:130馬力@14,000回転)

 

 

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第2位:ドゥカティ 750SS(1974年)
落札台数:2台(2022年7月~2024年6月)
最高落札額:1,506万円(2023年)
平均落札額:1,154万円(2022年7月~2024年6月)
最低落札額:801万円(2022年)

 

 

第2位は世界的なコレクター市場が存在する1974年の750SSが付けている。過去にはグッゲンハイム美術館での展示やシルバーマン美術館に所蔵されていた経緯もあり、オートバイの枠を超えたビンテージ価値が認められている。

 

DUCATIの750SSという機種は17年の空白を経て1991年にも再登場しているのだが、歴史的価値を有するのは401台限定で生産された1974年モデルである。74年型750SSがお宝になっているのは、DUCATIの歴史的転換点を象徴している点にある。

 

トライアンフやハーレにーBMWが大排気量市場を席巻していたところに日本車(CB750FOURやZ1)が食い込み凌駕しつつあった1970年代前半。 レースシーンでは、AMAスーパーバイク選手権の前身とも言えるフォーミュラ750ではヤマハTZ750が連戦連勝。 当時世界で最も盛り上がりを見せていたお祭りレース「デイトナ200」ではCB750FOUR Racerが1970年に優勝するなど日本車が強かった。

 

2024年現在ではレースシーンで無双状態のDUCATIも形無しであったのだが、1972年に転機が訪れる。「デイトナ200」の欧州版として初開催された「イモラ200」でポール・スマートが駆る 750 イモラ デスモ レーサーが優勝。イタリア本国でオールスターのライバル機を撃破した姿に国民が歓喜。その優勝記念レプリカにして、FIM世界耐久ロードレース選手権に参戦するためのホモロゲーションとして401台が生産されたのが74年型750SSである。

 

超高額で取引される為、模造品も出回っているが、オリジナル度が高く未使用に近いほど価値は高い。取引(買取査定額算出)に際しては来歴やオーナー履歴の他、各パーツの真贋を見極めるポイントが多数存在しており、専門的な高いレベルの鑑識眼が要求される。

 

日本国内の業者間オークションでは過去10年間に2台の取引が記録されており、2022年には801万円、2023年には1506万円で落札されている。驚くべきは2台ともエンジンがかからない不動車であった点であるが。見栄えは良く極めてオリジナル度が高い個体であった。

 

2023年に超高額取引となった背景には、オリジナル度がより高く状態が良かった点もあるのだが、その間に急速な円安が進んだ点にも言及しておきたい。海外のオークション(※個人間)では、2023年には159,500US$(2,400万円換算)と201,600US$で(3,000万円相当)、2022年には172,500£(2,700万円相当)で落札された事例があり、 海外勢にとってはフルオリジナルであれば2,000万円超の仕入れでも割安感が出ている点は見逃せない点だ。

 

機種:ドゥカティ 750SS
年式:1974年
販売数:401台
当時の価格:北米仕様:3,200$(約96万円換算)
最大馬力:(参考値 73馬力@8,000回転)

 

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坂上 賢治

NEXT MOBILITY&MOTOR CARS編集長。日刊自動車新聞を振り出しに自動車産業全域での取材活動を開始。同社の出版局へ移籍して以降は、コンシューマー向け媒体(発行45万部)を筆頭に、日本国内初の自動車環境ビジネス媒体・アフターマーケット事業の専門誌など多様な読者を対象とした創刊誌を手掛けた。独立後は、ビジネス戦略学やマーケティング分野で教鞭を執りつつ、自動車専門誌や一般誌の他、Web媒体などを介したジャーナリスト活動が30年半ば。2015年より自動車情報媒体のMOTOR CARS編集長、2017年より自動車ビジネス誌×WebメディアのNEXT MOBILITY 編集長。

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1975年日刊自動車新聞社入社。編集局記者として国会担当を皮切りに自動車販売・部品産業など幅広く取材。その後、長野支局長、編集局総合デスク、自動車ビジネス誌MOBI21編集長、出版局長を経て2010年論説委員。2011年から特別編集委員。自動車産業を取り巻く経済展望、環境政策、自動運転等の次世代自動車技術を取材。2016年独立し自動車産業政策を中心に取材・執筆活動中。

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1975年日刊自動車新聞社入社。部品産業をはじめ、自動車販売など幅広く取材。また自動車リサイクル法成立時の電炉業界から解体現場までをルポ。その後、同社の広告営業、新聞販売、印刷部門を担当、2006年に中部支社長、2009年執行役員編集局長に就き、2013年から特別編集委員として輸送分野を担当。2018年春から独立、NEXT MOBILITY誌の編集顧問。

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日刊自動車新聞社で取材活動のスタートを切る。同紙記者を皮切りに社長室支社統括部長を経て、全石連発行の機関紙ぜんせきの取材記者としても活躍。自動車流通から交通インフラ、エネルギー分野に至る幅広い領域で実績を残す。2017年以降は、佃モビリティ総研を拠点に蓄積した取材人脈を糧に執筆活動を展開中。

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(中島南事務所/東京都文京区)1963年・愛知県生まれ。新聞、週刊誌、総合月刊誌記者(月刊文藝春秋)を経て独立。規制改革や行政システムを視点とした社会問題を取材テーマとするジャーナリスト。

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1970年日刊自動車新聞社入社。編集局記者として自動車全分野を網羅して担当。2000年出版局長として「Mobi21」誌を創刊。取締役、常務、専務主筆・編集局長、代表取締役社長を歴任。2014年に独立し、佃モビリティ総研を開設。自動車関連著書に「トヨタの野望、日産の決断」(ダイヤモンド社)など。執筆活動に加え講演活動も。

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株式会社アーサメジャープロ エグゼクティブコンサルタント。PR/危機管理コミュニケーションコンサルタント、メディアトレーナー。自動車業界他の大手企業をクライアントに持つ。日産自動車、グローバルPR会社のフライシュマン・ヒラード・ジャパン、エデルマン・ジャパンを経て、2010年にアーサメジャープロを創業。東京大学理学部卒。

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1952年東京生まれ。産業専門紙記者、経済誌編集長を経て、99年に独立。自動車業界を中心に取材、執筆活動中。著書に「最強トヨタの自己改革」(角川書店)、共著に「トヨタ式仕事の教科書」(プレジデント社)、「スズキパワー現場のものづくり」(講談社ピーシー)など。