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2021年2月19日【イベント】

社長交代で八郷氏は悔い無し、三部氏は挑戦者として臨む

坂上 賢治

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 本田技研工業(本社:東京都港区、社長:八郷隆弘、以下ホンダ)は2月19日の17時、青山本社で社長交代に関する記者会見を開いた。壇上には現・代表取締役社長の八郷 隆弘(はちごう たかひろ・61歳)氏と。次期・代表取締役社長となる現・専務取締役の三部 敏宏(みべ としひろ・59歳)氏が出席した。(坂上 賢治)

 

 

今後の流れは、来たる6月の定時株主総会で三部氏が取締役代表執行役社長に就任。対して八郷氏は〝相談役〟などに留まる事なく退任する。

 

八郷氏が、これまでの慣例と異なり会社に留まらず、潔くを身を引く理由は、ホンダが「監査等委員会設置会社」から「指名委員会等設置会社」へ移行する方針である事を踏まえ、ガバナンス体制を大きく刷新することによるもの。

 

 なお代表取締役副社長の倉石誠司氏は(62歳)引き続き、取締役・代表執行役副社長として経営陣に留まるため、今後は三部氏との二人三脚体制が続く事になる。

 

 

これにより経営陣の若返りが阻害されているのでは、という記者の質問に関して八郷氏は、「経営トップの人選にあたって実年齢という尺度があるのは確かだ。しかし実際に社の命運を握るのは真に若い心を持っているかに懸かっている。

 

そういう意味で三部も倉石も充分に若く、世界的に加速している自動車産業の変革に対して果敢に立ち向かい、期待に応えてくれるだろう」を語っていた。

 

 

 加えて八郷氏は、「狭山や欧州などグローバルでの工場の終了。事業体質強化のための商品開発体制の大変更など、打つべき手は全て打って出揃い、これからはいよいよホンダが動き出し、施策の確実な実行と、その成果の刈り取りの段階に入っている」との見方を示した。

 

対して三部氏は、「八郷から社長交代の声が掛かったのは、今年の初め頃、自身は会社が平時の状況では、やる気が起きないというか、こうした激動の時代は自分に合っている。

 

舵取りを任されたからには、自らをチャレンジャーとして職務に臨む」と話した。以下は会見に於ける八郷氏・三部氏のコメント内容だ。

 

 

 現代表取締役社長、八郷 隆弘氏「2015年6月に社長を引き継ぎ、自動車産業が100年に一度と言われる大転換期に突入する中、ホンダが将来に渡って〝存在を期待される企業〟であり続けるため、〝既存事業の盤石化〟と〝将来の成長に向けた仕込み作り〟を重点方針として据えて取り組んできました。

 

特に〝既存事業の盤石化〟については、四輪事業を中心に事業体質強化のために、商品開発体制や生産能力の適正化など、従来のやり方に捕らわれない抜本的な改革を進め、狭山や欧州などの工場生産終了など、今日のホンダにとって大きな決断も行いました。

 

 一方、世界最大市場となった中国に於いては、5年間で倍近くまで生産能力を拡大するなど、グローバルで選択と集中を行いました。その結果、既存事業の盤石化については成果の刈り取りの段階に入っています。

 

 

また、〝将来の成長に向けた仕込み〟についても、ホンダの原点である〝社会の役に立つ〟という想いの下、モビリティメーカーの責務として〝2050年カーボンニュートラル〟と〝2050年交通事故死者ゼロ〟の実現、そしてお客様の夢を実現する新しい価値の提供に向け、研究所の体制も進化させました。

 

 今後、新しい時代に向け新しいホンダが出発していくため、このタイミングで新たなリーダーに託し、全社で新鮮な気持ちでチャレンジして欲しいと考え、三部へ社長のタスキを繋ぐ事にしました。三部は豊富な知見と力強いリーダーシップでこの厳しい環境に打ち勝ち、ホンダならではの新たな価値の提供をしてくれると考えています。

 

この6年間、多くの皆さまにお世話になりました。心から御礼を申し上げます。これからも変わらぬご支援を宜しくお願い致します。」

 

 

 次期代表取締役社長・三部 敏宏氏「この度、社長就任にあたり重責を感じますが、自分の持ち味を最大限に発揮し、新しいホンダをリードしていきたいと思っています。

 

特に〝将来の成長に向けた仕込み〟をさらに加速させ、実行に移していくこと、言い換えると八郷が固めた既存事業の地盤の上に、ホンダの将来を見据え、未来という建物を建てる事であり、それは100年に一度の変革期にも耐えられるレジリエンスを持ったものにしなければならないと思っています。

 

 そのために〝2050年カーボンニュートラル〟と〝2050年交通事故死者ゼロ〟に向けた取り組みを具現化し加速させる事。そしてお客様の暮らしを豊かにする。生活の可能性を拡げる新しい価値を提供する事で、お客様や社会から存在を期待される企業であり続けることを目指していきます。

 

 

これまでは研究所の社長として、2030年以降のホンダを創っていく新たな技術、価値創造の研究開発を進めてきました。しかし今度はホンダの社長として、これまで仕込んできたものをお客さまにとって魅力ある”モノ”や”コト”として形にしていきます。

 

 それが即ち、ホンダが存在を期待されるということ。その実現のため、お客さまからワクワクして頂ける、喜ばれる商品・サービスの提供に向けチャレンジしていきます。

 

激動の時代に、ホンダがこれからも〝存在を期待される企業〟としてあり続けるには、ホンダ全体で大きな転換・スピードが求められます。

 

 ホンダが描く新しい価値を早期に実現するために、必要であれば、外部の知見の活用やアライアンスの検討なども含めて躊躇なく決断・実行し、自らをチャレンジャーとして職務に臨んでいきます。今後とも、ご指導、ご支援を頂きますよう、宜しくお願い致します。」

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坂上 賢治

NEXT MOBILITY&MOTOR CARS編集長。日刊自動車新聞を振り出しに自動車産業全域での取材活動を開始。同社の出版局へ移籍して以降は、コンシューマー向け媒体(発行45万部)を筆頭に、日本国内初の自動車環境ビジネス媒体・アフターマーケット事業の専門誌など多様な読者を対象とした創刊誌を手掛けた。独立後は、ビジネス戦略学やマーケティング分野で教鞭を執りつつ、自動車専門誌や一般誌の他、Web媒体などを介したジャーナリスト活動が30年半ば。2015年より自動車情報媒体のMOTOR CARS編集長、2017年より自動車ビジネス誌×WebメディアのNEXT MOBILITY 編集長。

松下次男

1975年日刊自動車新聞社入社。編集局記者として国会担当を皮切りに自動車販売・部品産業など幅広く取材。その後、長野支局長、編集局総合デスク、自動車ビジネス誌MOBI21編集長、出版局長を経て2010年論説委員。2011年から特別編集委員。自動車産業を取り巻く経済展望、環境政策、自動運転等の次世代自動車技術を取材。2016年独立し自動車産業政策を中心に取材・執筆活動中。

間宮 潔

1975年日刊自動車新聞社入社。部品産業をはじめ、自動車販売など幅広く取材。また自動車リサイクル法成立時の電炉業界から解体現場までをルポ。その後、同社の広告営業、新聞販売、印刷部門を担当、2006年に中部支社長、2009年執行役員編集局長に就き、2013年から特別編集委員として輸送分野を担当。2018年春から独立、NEXT MOBILITY誌の編集顧問。

片山 雅美

日刊自動車新聞社で取材活動のスタートを切る。同紙記者を皮切りに社長室支社統括部長を経て、全石連発行の機関紙ぜんせきの取材記者としても活躍。自動車流通から交通インフラ、エネルギー分野に至る幅広い領域で実績を残す。2017年以降は、佃モビリティ総研を拠点に蓄積した取材人脈を糧に執筆活動を展開中。

中島みなみ

(中島南事務所/東京都文京区)1963年・愛知県生まれ。新聞、週刊誌、総合月刊誌記者(月刊文藝春秋)を経て独立。規制改革や行政システムを視点とした社会問題を取材テーマとするジャーナリスト。

山田清志

経済誌「財界」で自動車、エネルギー、化学、紙パルプ産業の専任記者を皮切りに報道分野に進出。2000年からは産業界・官界・財界での豊富な人脈を基に経済ジャーナリストとして国内外の経済誌で執筆。近年はビジネス誌、オピニオン誌、経済団体誌、Web媒体等、多様な産業を股に掛けて活動中。

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1970年日刊自動車新聞社入社。編集局記者として自動車全分野を網羅して担当。2000年出版局長として「Mobi21」誌を創刊。取締役、常務、専務主筆・編集局長、代表取締役社長を歴任。2014年に独立し、佃モビリティ総研を開設。自動車関連著書に「トヨタの野望、日産の決断」(ダイヤモンド社)など。執筆活動に加え講演活動も。

熊澤啓三

株式会社アーサメジャープロ エグゼクティブコンサルタント。PR/危機管理コミュニケーションコンサルタント、メディアトレーナー。自動車業界他の大手企業をクライアントに持つ。日産自動車、グローバルPR会社のフライシュマン・ヒラード・ジャパン、エデルマン・ジャパンを経て、2010年にアーサメジャープロを創業。東京大学理学部卒。

福田 俊之

1952年東京生まれ。産業専門紙記者、経済誌編集長を経て、99年に独立。自動車業界を中心に取材、執筆活動中。著書に「最強トヨタの自己改革」(角川書店)、共著に「トヨタ式仕事の教科書」(プレジデント社)、「スズキパワー現場のものづくり」(講談社ピーシー)など。