但しその後、国内経済のバブル崩壊を経て2000年を迎えた時期より、当地の鉱工業経済の減速が進み、2009年3月27日には、三菱自動車水島製作所が67年間に亘って経営していた地域医療の拠点の三菱水島病院(同市水島高砂町)が惜しまれつつ閉院するなど、三菱自動車工業の影響が潮を引くように希薄化するなか、20年近く掛けて同社に頼らない地域経済実現も求めてきている。
しかしそれでも三菱自動車工業の水島製作所が、鋳物加工からエンジン組立て、さらにプレス加工から最終組立てまで車作りの全行程作業が存在する世界でも例の少ない一貫生産工場であること。また永らく岡山を支えてきた地場産業の礎であることに変わりはなく、それが今回の産業連携を踏まえた締結式に繫がったのだろう。
そんな双方による協定締結式は8月7日に岡山県庁で実施。この席に伊原木隆太知事と三菱自動車工業の益子修CEOが共に出席して協定書に調印した。
この際に益子CEOは「伊原木知事には大きな道筋を引いて頂いた。岡山県内の企業やこの地域に住まわれる皆様に、これまで以上の貢献ができるよう、岡山県と共にこの取組みを推進していきます」と話していた。( MOTOR CARS )