これを受けて三菱自動車工業は、EVの構造研究等への技術協力や充電環境の整備促進などの分野で岡山県に対して積極的に協力していく予定だと云う。
実は、岡山県下での地場産業活性化の流れは数年前より進んでおり、例えば、一昨年前の三菱自動車工業による燃費不正で、三菱ブランド並びに日産ブランドの軽自動車生産が大きく減速した際、水島製作所では総生産30万台強のうち20万台の生産が停止した。
しかし一方でEVのi-MiEVと輸出向けのギャランフォルティスの生産は続くなど、当地に於ける経済影響が少しでも抑えられたのは軽自動車生産への依存がある程度進んでいたためとされる。もちろん、それでも多くの部品会社が工場の一部や全体の操業を停止。従業員の自宅待機措置も行われた。
そんな水島地区(水島臨海工業地帯)は岡山県三大河川のひとつである高梁川の河口に広がる日本有数の工業地帯である。ここは戦前に於いては、漁業と干拓農業を主とする農漁村だったのだが、1950年代に当地の行政府が音頭を取った経済拡大戦略を推進。
1953年に大型船舶の入港を可能にする浚渫(しゅんせつ)を着手(これが現在の玉島ハーバーアイランドの水島港国際コンテナターミナルになった)。1934年には、地元産業の高度化を求めて三菱自動車工業の水島製作所(当時の三菱重工業・航空機製作所水島工場)を迎え入れた。これにより当地の中小商工業の発展を推し進めた結果、同地域の製品出荷額は、岡山県全体のおよそ半分を占めるまでに成長。当地の県民生活の向上を相次いで実現してきた経緯がある。