メルセデス・ベンツ日本(本社: 東京都品川区、社長:上野金太郎)は6月26日 「メルセデス・マイバッハ S クラスGrand Edition(グランドエディション)」を発表し、全国のメルセデス・ベンツ正規販売店ネットワークを通じ全国限定10台を発売する(坂上 賢治)。
そもそもこの〝マイバッハ〟は、1909年にドイツで創業したエンジン製造会社にまでその源流を辿れ、メルセデス・ベンツと並ぶ程の由緒正しき〝暖簾〟だ。対して今や誰もが知っている〝メルセデス・ベンツ〟ブランドは、1901年にカール・ベンツとゴットリープ・ダイムラーという2人の創業者によって立ち上げられている。
そんな今日では押しも押されぬメルセデス・ベンツには、黎明期に車両の動力源開発を手掛けていたエンジン技師のヴィルヘルム・マイバッハの存在が欠かせなかった。元来、孤児院育ちの叩き上げと語られているヴィルヘルムは、ダイムラー社の主任技師としてメルセデス第1号車誕生に技術領域で深く携わっていたからだ。
しかしヴィルヘルムは、ダイムラーの第1号車を世に送り出した8年後(1909年)に同社を去ってしまう。そして起業家ツェッペリン伯爵の要請を受け新会社「マイバッハ・モトーレンバウ(Maybach-Motorenbau GmbH)」を設立。当時の飛行船ツェッペリン号に搭載されたV型12気筒エンジン設計を皮切りに、鉄道や戰車に至るまで多彩なエンジン製造で、その名を欧州全域に轟かせた。
また1920年代からは高級車「マイバッハ・ツェッペリン」をリリース。この時期、最高峰と謳われたグローサー・メルセデス770に迫る価格と高い品質を欲しいままにした。しかしヴィルヘルムの息子カール・マイバッハが同社を退任した1952年を期に、ダイムラーがマイバッハの50%の株式を保有するに至り、1966年にマイバッハはダイムラー傘下となった。
後の1969年にマイバッハ社は「モトーレン・ウント・トゥルビーネン・ウニオン(Motoren und Turbinen Union/エンジン&タービン製造会社)」へと社名を変えたのだが、1900年代初頭に稀代のエンジン技術者として語り草となっていたヴィルヘルムの威光を背負い、没後70余年を経た2002年。ロールス・ロイスやベントレーの台頭に危機感を覚えたダイムラーが、メルセデスSクラスを超える高級ブランドとしてマイバッハを復活させたという経緯がある。
そんな贅を尽くした高級感で1920年当時の人々を魅了したマイバッハを、改めてメルセデス傘下でリリースさせたのが今回のメルセデス・マイバッハで、発表された特別仕様車では既存のメルセデス・マイバッハS560並びに560 4MATICをベースに高品質ナッパレザーで仕立て上げた1台になっているという。
特に同車では、前方最大15mの路面の詳細な凹凸を、フロントガラス上部内側のステレオマルチパーパスカメラで捉え、その路面状況に応じてサスペンションのダンピングを制御することでボディに伝わる衝撃をフラットかつ最小するマジックボディコントロールを搭載。
またさらに車速約180km/hまで一貫して路面スキャンを続け、コーナリング時にスキーヤーのように車体を内側に傾ける(最大2.65°)ことで、コーナリング時の横加速度を軽減。安定したコーナリング特性を備えた「ダイナミックカーブ機能」も持っているとしている。