トヨタ自動車の創業者である豊田喜一郎氏が3月24日、愛知県の定例議会を経て、愛知県名誉県民の称号の授与を決議された。
愛知県は今年県政150周年を迎え、これまでの150年の歩みを振り返り、愛知の発展に多大な貢献をしたとして、豊田喜一郎を顕彰した。トヨタ自動車は、創業時のリーダーが、ゆかりの深い地元愛知県において名誉県民との認定されたこととなる。
先の通りでトヨタ自動車創業者・豊田喜一郎氏は、豊田式木鉄混製力織機(豊田式汽力織機)、無停止杼換式自動織機(G型自動織機)など生涯に於いて発明特許84件、外国特許13件、実用新案35件などの発明を残した豊田佐吉の長男として出生(1894年6月11日)。碧海郡(へきかいぐん/現在の愛知県の郡部)刈谷町(現在の刈谷市中央部)に試験工場を作り自動織機の開発にも貢献した。
1926年には豊田自動織機製作所の常務取締役に。1933年9月1日には、豊田自動織機製作所内に自動車製作部門(のちに自動車部)を新設。2年後の1935年にA1型試作乗用車、G1型トラックを完成させ、その翌年の1936年に「トヨダAA型乗用車」を発売し、現在のトヨタ自動車に至る歴史の一歩を記した。
その後の1937年には、先の自動車部をトヨタ自動車工業株式会社として独立させ副社長に。1938年、愛知県西加茂郡挙母町(現・豊田市)の荒地58万坪の土地を取得して自動車工場を建設。1941年にはトヨタ自動車工業社長に就任した。
1950年6月には社長職を退任して東京に研究所を設立。同研究所ではエンジンの研究などを行っていたが、1952年に再び社長に就任することが内定。しかし3月27日逝去する。
愛知県豊田市(挙母市)では、同地域の発展に大きく貢献した実績から豊田市役所の広場には銅像が立てられている。また逝去から49年後の2001年3月には豊田市の名誉市民となった。
更に2001年に創設された日本自動車殿堂の殿堂者に選出。2018年には、アメリカ合衆国の自動車殿堂入りを果たした。そして今回、没後70年となる2022年3月に愛知名誉県民の称号を授与された。
愛知名誉県民の授与を受け、現・トヨタ自動車の豊田章男社長は、豊田喜一郎および創業時のリーダーを偲び、次のように述べた。
「この度は、愛知県政150周年の節目にあたり、私どもの創業者である豊田喜一郎を名誉県民にご選出いただき、大変ありがたく、嬉しく思います。
私自身は喜一郎に直接会ったことはございませんが、愛知県名誉県民に選ばれたと聞いたら、きっと「自動車産業を興す挑戦はみんなでやってきたこと。自分は仲間たちを代表して名前があるだけだ」と言ったのではないかと思います。
当時は不可能とさえ言われた「クルマづくりへの挑戦」や、「繊維産業から自動車産業への転換」は、「もっと世の中を良くしたい」という一心で、一緒に取り組んでくださった行政・仕入先・販売店をはじめとする地元の皆様がいたからこそ、成し遂げられたことだと思っております。
CASE革命やカーボンニュートラルへの対応など、自動車産業が100年に一度の大変革の時代を迎えている中、私たちも今、自動車会社からモビリティ・カンパニーへのモデルチェンジに挑戦しております。
今回の顕彰にあたり、喜一郎や先人たちからは、「未来のためにみんなで頑張れよ」というエールが、私たち現役世代に送られているようにも思えます。
これからも地域の皆様と一緒に、皆が幸せになれる社会を目指して取り組んでまいります。」