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2024年11月22日【新型車】

JLR傘下のジャガー、事業戦略を大幅刷新へ 原点に立ち返る

坂上 賢治

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臆することのない、活気と魅力にあふれるブランドとして新生JAGUARの誕生へ

 

JLRの看板ブランド「JAGUAR」は112月2日の20時( 日本時間の12月3日10時 / 英国ゲイドン発 )、マイアミ・アートウィークにて「Copy Nothing」を発表する。

 

それは新生JAGUARがクリエイティブフィロソフィーのテーマとして掲げる〝Exuberant Modernism〟を、DESIGN VISION CONCEPT( デザイン・ビジョン・コンセプト )と銘打った作例を示すもので、これが新生ブランドの世界初の公開インスタレーションになると謳う。

 

またこれに併せて、そのDESIGN VISION CONCEPTのティザー画像も公開した。示されたのは、デジタルバックミラーを搭載する電動GTのリアフォルムをイメージさせる画像で、大胆なデザインビジョン作品の一端が垣間見れる。

 

なお、この日を以てJAGUARは新時代の幕開けを迎える。その提案の骨子はブランド自体の誕生年にまで遡り、当時の創業者ウィリアム・ライオンズ卿が掲げた信念「Copy Nothing」が再出発のキーワードになるとした。

 

この上記のCopy Nothingとは、世界のどのブランドとも異なる創業当時のJAGUARの独創的なスタンスを示すもの。今風に言うなら世界が押し並べて画一的な電動車戦略を採るなかで、JAGUARはあくまでも「唯我独尊」を行くということなのだろう。

 

 

では、ここでそんなJAGUARの創生期について改めて翻ってみると、ウィリアム・ライオンズ卿( 1901年生 – 1985年没 )と、その友人のウィリアム・ウォームズレイ( 1892年生 – 1961年没 )により、1922年に立ちあげられた「スワロー・サイドカー・カンパニー」が、その源流となる。

 

4年後の1926年に自動車のボディ補修を契機に自動車産業へ進出。当初はコーチビルダーとしてボディ製造を手掛けることから歩み始めた。その最初の仕事は翌1927年。大衆車であるオースチン・セブンのシャシーにアルミ製ボディを換装した2人乗りロードスターの「オースチン・セブン・スワロー」を発表している。

 

クルマづくりを本格化させた1935年当時の事業コンセプトは、「美しいクルマを提案すれば必ず売れる」というもの。以降、パワーユニットの量産効果を高めることで、ライバルの高級車達に比肩する高性能車をリーズナブルな価格で提供するという強みを活かし、当時の自動車マーケットで圧倒的支持を得た。

 

そんな創生期のジャガーの歩みが未来に通じるのであるのなら今日、BEVという新たなパワーユニットを得たラグジュアリーブランドとして、現代を生きるモビリティユーザーに向けた製品づくりを目指すのだと考えられる。

 

実際、現行ジャガーでチーフ・クリエイティブ・オフィサーを務めるジェリー・マクガバン氏は、「JAGUARのルーツは独創性にあります。JAGUARの創業者であるウィリアム・ライオンズ卿は、JAGUARはA copy of nothing( なにもののコピーではない )という哲学を唱えていました。

 

今日のJAGUARに対する私たちのビジョンは、この哲学に基づいています。 新生JAGUARは、Exuberant Modernism( 活気あふれるモダニズム )という哲学を中心に据えて構築中で、それは、あらゆるタッチポイントに於いて想像力に富み、大胆でアーティスティック、そしてユニークで臆することのないブランド像を示しています。

 

それらは本来のJAGUARの本質を取り戻し、創業時の自動車愛好家達に愛された価値観へと回帰させつつ、未来に向けて新たなJAGUAR像を創造し、お客様のライフスタイルを豊かにするブランドとしての新時代に相応しい地位を再構築したいと考えています」と述べている。

 

その変化の姿勢を示すクリエイティブテーマは以下の4つとなる

 

(1)Device Mark(デバイスマーク)
新たなJAGUARの新デバイスマーク(ロゴマーク)は、幾何学的なフォルム、シンメトリー性、シンプルさなどのモダニズムを力強く表現したもの。視覚的な調和を保ちつつも、過去のブランド感と決別した意外性も併せ持っている。

 

(2)Strikethrough(ストライクスルー)
お馴染みの〝リーピングキャット〟大胆な直線的グラフィックを背景としたメーカーズマークとして生まれ変わる。この扱いも模倣を打ち破り、既存の価値観を変える姿勢を示しているという。

 

 

(3)Exuberant Colours(活気あふれる豊かな色彩)
新生JAGUARの新しいブランドアイデンティティを色彩的に示すのは、アートシーンとの繋がりを思わせる豊かな色使いにあるとした。それはイエロー、レッド、ブルーといったアーティスティックなパレットから生まれた原色の組み合わせであり、ブランドのトーンを決める構成要素として表現されることになるとしている。

 

(4)Makers Marks(メーカーズマーク)
新生JAGUARの「leaper(リーパー)」となるMonogram(モノグラム)は、ブランドの起源を示す大切なマークとして未来に於いても使われる。但しモノグラムはブランドの卓越性を示すものとして扱われる。

 

 

4 つの変化のシンボルにはそれぞれ意味が込められており、ブランド価値を反映し、これから何が起こるのかを知る手掛かりになると結ばれている。

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坂上 賢治

NEXT MOBILITY&MOTOR CARS編集長。日刊自動車新聞を振り出しに自動車産業全域での取材活動を開始。同社の出版局へ移籍して以降は、コンシューマー向け媒体(発行45万部)を筆頭に、日本国内初の自動車環境ビジネス媒体・アフターマーケット事業の専門誌など多様な読者を対象とした創刊誌を手掛けた。独立後は、ビジネス戦略学やマーケティング分野で教鞭を執りつつ、自動車専門誌や一般誌の他、Web媒体などを介したジャーナリスト活動が30年半ば。2015年より自動車情報媒体のMOTOR CARS編集長、2017年より自動車ビジネス誌×WebメディアのNEXT MOBILITY 編集長。

松下次男

1975年日刊自動車新聞社入社。編集局記者として国会担当を皮切りに自動車販売・部品産業など幅広く取材。その後、長野支局長、編集局総合デスク、自動車ビジネス誌MOBI21編集長、出版局長を経て2010年論説委員。2011年から特別編集委員。自動車産業を取り巻く経済展望、環境政策、自動運転等の次世代自動車技術を取材。2016年独立し自動車産業政策を中心に取材・執筆活動中。

間宮 潔

1975年日刊自動車新聞社入社。部品産業をはじめ、自動車販売など幅広く取材。また自動車リサイクル法成立時の電炉業界から解体現場までをルポ。その後、同社の広告営業、新聞販売、印刷部門を担当、2006年に中部支社長、2009年執行役員編集局長に就き、2013年から特別編集委員として輸送分野を担当。2018年春から独立、NEXT MOBILITY誌の編集顧問。

片山 雅美

日刊自動車新聞社で取材活動のスタートを切る。同紙記者を皮切りに社長室支社統括部長を経て、全石連発行の機関紙ぜんせきの取材記者としても活躍。自動車流通から交通インフラ、エネルギー分野に至る幅広い領域で実績を残す。2017年以降は、佃モビリティ総研を拠点に蓄積した取材人脈を糧に執筆活動を展開中。

中島みなみ

(中島南事務所/東京都文京区)1963年・愛知県生まれ。新聞、週刊誌、総合月刊誌記者(月刊文藝春秋)を経て独立。規制改革や行政システムを視点とした社会問題を取材テーマとするジャーナリスト。

山田清志

経済誌「財界」で自動車、エネルギー、化学、紙パルプ産業の専任記者を皮切りに報道分野に進出。2000年からは産業界・官界・財界での豊富な人脈を基に経済ジャーナリストとして国内外の経済誌で執筆。近年はビジネス誌、オピニオン誌、経済団体誌、Web媒体等、多様な産業を股に掛けて活動中。

佃 義夫

1970年日刊自動車新聞社入社。編集局記者として自動車全分野を網羅して担当。2000年出版局長として「Mobi21」誌を創刊。取締役、常務、専務主筆・編集局長、代表取締役社長を歴任。2014年に独立し、佃モビリティ総研を開設。自動車関連著書に「トヨタの野望、日産の決断」(ダイヤモンド社)など。執筆活動に加え講演活動も。

熊澤啓三

株式会社アーサメジャープロ エグゼクティブコンサルタント。PR/危機管理コミュニケーションコンサルタント、メディアトレーナー。自動車業界他の大手企業をクライアントに持つ。日産自動車、グローバルPR会社のフライシュマン・ヒラード・ジャパン、エデルマン・ジャパンを経て、2010年にアーサメジャープロを創業。東京大学理学部卒。

福田 俊之

1952年東京生まれ。産業専門紙記者、経済誌編集長を経て、99年に独立。自動車業界を中心に取材、執筆活動中。著書に「最強トヨタの自己改革」(角川書店)、共著に「トヨタ式仕事の教科書」(プレジデント社)、「スズキパワー現場のものづくり」(講談社ピーシー)など。