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2023年8月21日【トピックス】

ベントレーの名車「ブロワー」が究極のシティカーとして復活

坂上 賢治

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ベントレーモーターズとザ・リトル・カー・カンパニー(The Little Car Company)は8月21日、かつてベントレーによってリリースされていた車両ブロワーを85%サイズで復刻した「ブロワージュニア(Blower Jnr)」を発表した。( 坂上 賢治 )

 

当該車両は、地域によっては公道も走行可能。ブロワージュニアのオリジナルモデルはスーパーチャージャー付き4½リッターのレーシングカーとして知られる1929年製ブロワーの2号車となる。

 

 

ベントレーはこの2号車をヘリテージコレクションとして所有しており、それを範としたブロワージュニアは、現代のとして洗練を高めたもの。ザ・リトル・カー・カンパニー社にとっては、初の公道走行可能車両となる。

 

製造元となるザ・リトル・カー・カンパニーは、著名な自動車メーカーと提携して高級ジュニアカーを製造する企業。同社がリリースするジュニアカーは、いずれもオリジナルの自動車メーカーが認めた公式ライセンス製品となっている。製品は英国内で一台一台を手作業で精巧に造り込まれる。

 

今回のブロワージュニアも、手作業で製作されるだけでなくベントレーの実際のラインアップと同じ基準を満たし、そのディテールはすべてオリジナルモデルの2号車からインスピレーションを得たものとなっている。

 

 

ザ・リトル・カー・カンパニーは、2500万ポンドの保険が掛けられている1929年製の2号車を使用し、85%にスケールダウンしたブロワージュニアのデザインを完成させ、ディテールに至るまで忠実に再現した。

 

ブロワージュニアの車体サイズは、全長3.7メートル、全幅1.5 メートル。専門家も思わず目を留めてしまうような仕上がりを目指した。なおザ・リトル・カー・カンパニーがこれまで製造してきた車両とは異なり、ブロワージュニアは公道仕様であり、道路を走行することを想定して設計された。

 

シャシーは、塗装されたスチール製フレームの本格仕様。リーフスプリングと、当時のパーツをスケールダウンしたフリクションダンパーが快適な乗り心地をもたらし、ブレンボ製のフロントディスクブレーキとリアドラムブレーキが奢られている。

 

搭載したパワートレインは、48V・15kW (20bhp)の電動モーターを採用。英国と欧州では最高速72km/h(45mph)、米国では規制によって最高速40km/h(25mph)に制限される。航続距離は約65マイル、大人2名がタンデム方式で前後に着座できる仕様だ。電気モーターはリアアクスルに搭載され、バッテリーとドライブエレクトロニクスは目立たないアンダートレイに収納した。

 

 

ボディは2つのセクションから成り、リアボディはアッシュフレームではなくカーボンファイバー製となっている。リアボディを覆う含浸ファブリックはオリジナルモデルと同じ仕様とした。

 

アルミニウム製ボンネットは伝統の技巧によって手作業で製作され、複数の冷却ルーバーが備えられている。ボンネットを固定しているのはバックル付きの革製ストラップだ。

 

二人乗りのコクピットは1+1のレイアウト。車両の中央にあるのが調節可能な運転席で、同乗者はリアシートに座る。後方には、オプションの特注ウィークエンドバッグがぴったりと収まる。フューエルタンクはオリジナルモデルから忠実にスケールダウンした上で、ロック可能なラッチ付きラゲッジスペースとして生まれ変わらせた。

 

オリジナルモデルでは、車両前部に搭載されていたスーパーチャージャーの役割も変わり、ブロワージュニアでは充電ポートが収納され、車載チャージャーをタイプ1またはタイプ2のソケットに接続できるようになっている。

 

その周囲をベントレーの象徴であるメッシュグリルが取り囲む。ラジエターハウジングはニッケルメッキ仕上げとした。

 

 

ダッシュボードにはエンジンターンドアルミニウムが使用され、一見するとオリジナルモデルを縮小したレプリカのようであるが、フューエルプレッシャーポンプはドライブモードセレクターに生まれ変わり、コンフォートモード(2kW)、ベントレーモード(8kW)、最大出力15kWを発揮するスポーツモードを選択できるようにした。

 

前進、ニュートラル、後退を操作するレバーのデザインと操作感は、オリジナルのブロワーに搭載されていたイグニッションアドバンスコントロールレバーと見まがう造りとなっている。

 

ヘッドライトやウインカーなど、各スイッチの形状や材質は2号車のマグネトスイッチを模してデザインされ、バッテリー充電計は2号車の電流計を彷彿とさせる仕上げとした。

 

キャビンにはUSBポートも備えているが、不要な時は目立たない配慮を施した。キャビンの雰囲気を決定づけるデュアルディスプレイは、ガーミン衛星ナビゲーション画面およびバックカメラとして機能する。

 

 

なおブロワージュニアの1台目から99台目までは「ファーストエディションモデル」となる。これらは「1 of 99」と番号が刻まれたプレートに加え、ボンネット、ドアシルプレート、ダッシュボードにファーストエディションのバッジがプラスされる。

 

全てのファーストエディションモデルは、ボディ、シャシー、ホイールが「Blower Green」で仕上げられ、オリジナルモデルと同じくボディの両側にユニオンフラッグが手描きされる。

 

シートとインテリアは、マリナーのブロワーコンティニュエーションシリーズで使用されているレザー「Dark Green Lustrana」で彩られる。サイドパネルとラジエターには当時のレーシングナンバーが刻まれ、ステアリングホイールにはロープが巻かれた。

 

 

そんなブロワージュニアはモントレー・カー・ウィークでの公開に先立ち、その前夜に100名のVIPを前に世界初公開された。2024年第2四半期には99台のファーストエディションの製造がスタートする。

 

ちなみにオリジナルモデルのスーパーチャージャー付き4 ½ リッター「ブロワー」2号車スーパーチャージャー付き4½リッターエンジンを搭載したブロワーは、戦前のベントレーの中で一際鮮烈な印象を残したクルマだ。

 

ブロワーが耐久レースで優勝したことは一度もなかったが、紛れもなく当時最速のレースカーとして007シリーズの作者であるイアン・フレミングも魅了された。

 

 

フレミングの小説では、主人公のジェームズ・ボンドが乗るボンドカーとしてスーパーチャージャー付き4½リッターのベントレーが登場するが、イギリスのライバルメーカーのスポーツカーは、ボンドが所属する秘密情報部MI6の単なる「社用車」という設定になっている。

 

そんな歴史に刻まれたブロワーは、ティム・バーキン卿のアイデアから生まれたレーシングカーであった。

 

当時活躍したレーシングドライバーで、ベントレーボーイズの一員でもあったバーキン卿は、ベントレーのレーシングカーのスピードをもっと上げたいと考えていた。

 

W.O. ベントレーが3リッターから4½リッター、6½リッターへと排気量を上げることでスピードアップを図ったのに対し、バーキン卿はイギリスのエンジニア、アムハースト・ヴィリヤースが設計したルーツ式スーパーチャージャーに注目。

 

レース用チューニングを施した4½リッターエンジンの出力をスーパーチャージャーによって130bhpから240bhpに向上させた。

 

 

当時、ベントレーの会長であったウルフ・バ-ナートをバーキン卿が説得したことにより、スーパーチャージャー付き4½リッターが計55台生産され、内5台がレースに使用された。

 

レースに参戦した内の4台は、莫大な遺産を相続していたドロシー・パジェから資金援助を受け、ウェリン・ガーデン・シティにあったBirkin & Coのワークショップでチームカーとして手が加えられている。

 

ベントレーが所有しているUU 5872は、この4台の内の2号車となる。チームカーは12のレースに参戦したが、中でも1930年のル・マン24時間レースで圧倒的な速さを見せた2号車が最もよく知られている。

 

 

そんな2号車は1960年代に一度レストアされ、現在もほぼオリジナルの状態で保管されている。2000年からベントレーモーターズの所有となった2号車は、外観に若干のメンテナンスが施されたものの、その姿はバーキン卿がステアリングを握った当時とほとんど変わらない。

 

2号車はその後、ミッレミリアに5回参戦した他、ル・マンまでの行程を何度か走行しており、グッドウッド・フェスティバル・オブ・スピードやペブル・ビーチ・コンクール・デレガンスでもその走りを披露している。

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坂上 賢治

NEXT MOBILITY&MOTOR CARS編集長。日刊自動車新聞を振り出しに自動車産業全域での取材活動を開始。同社の出版局へ移籍して以降は、コンシューマー向け媒体(発行45万部)を筆頭に、日本国内初の自動車環境ビジネス媒体・アフターマーケット事業の専門誌など多様な読者を対象とした創刊誌を手掛けた。独立後は、ビジネス戦略学やマーケティング分野で教鞭を執りつつ、自動車専門誌や一般誌の他、Web媒体などを介したジャーナリスト活動が30年半ば。2015年より自動車情報媒体のMOTOR CARS編集長、2017年より自動車ビジネス誌×WebメディアのNEXT MOBILITY 編集長。

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1975年日刊自動車新聞社入社。編集局記者として国会担当を皮切りに自動車販売・部品産業など幅広く取材。その後、長野支局長、編集局総合デスク、自動車ビジネス誌MOBI21編集長、出版局長を経て2010年論説委員。2011年から特別編集委員。自動車産業を取り巻く経済展望、環境政策、自動運転等の次世代自動車技術を取材。2016年独立し自動車産業政策を中心に取材・執筆活動中。

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1975年日刊自動車新聞社入社。部品産業をはじめ、自動車販売など幅広く取材。また自動車リサイクル法成立時の電炉業界から解体現場までをルポ。その後、同社の広告営業、新聞販売、印刷部門を担当、2006年に中部支社長、2009年執行役員編集局長に就き、2013年から特別編集委員として輸送分野を担当。2018年春から独立、NEXT MOBILITY誌の編集顧問。

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日刊自動車新聞社で取材活動のスタートを切る。同紙記者を皮切りに社長室支社統括部長を経て、全石連発行の機関紙ぜんせきの取材記者としても活躍。自動車流通から交通インフラ、エネルギー分野に至る幅広い領域で実績を残す。2017年以降は、佃モビリティ総研を拠点に蓄積した取材人脈を糧に執筆活動を展開中。

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(中島南事務所/東京都文京区)1963年・愛知県生まれ。新聞、週刊誌、総合月刊誌記者(月刊文藝春秋)を経て独立。規制改革や行政システムを視点とした社会問題を取材テーマとするジャーナリスト。

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1970年日刊自動車新聞社入社。編集局記者として自動車全分野を網羅して担当。2000年出版局長として「Mobi21」誌を創刊。取締役、常務、専務主筆・編集局長、代表取締役社長を歴任。2014年に独立し、佃モビリティ総研を開設。自動車関連著書に「トヨタの野望、日産の決断」(ダイヤモンド社)など。執筆活動に加え講演活動も。

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株式会社アーサメジャープロ エグゼクティブコンサルタント。PR/危機管理コミュニケーションコンサルタント、メディアトレーナー。自動車業界他の大手企業をクライアントに持つ。日産自動車、グローバルPR会社のフライシュマン・ヒラード・ジャパン、エデルマン・ジャパンを経て、2010年にアーサメジャープロを創業。東京大学理学部卒。

福田 俊之

1952年東京生まれ。産業専門紙記者、経済誌編集長を経て、99年に独立。自動車業界を中心に取材、執筆活動中。著書に「最強トヨタの自己改革」(角川書店)、共著に「トヨタ式仕事の教科書」(プレジデント社)、「スズキパワー現場のものづくり」(講談社ピーシー)など。