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2023年4月13日【新型車】

ベントレー、ル・マン参戦100周年の限定車を製作

坂上 賢治

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ベントレーがル・マン24時間レースで6度目の優勝を飾って20年。また伝統の初レース開催から100年を記念し英国時間の4月12日、コンチネンタルGTクーペとコンチネンタルGTC(ル・マン・コレクション)の限定車を発表した。

 

 

そもそもベントレーとル・マンとの長い付き合いは、決して順調なスタートとは言えなかった。

 

1923年にジョン・ダフ選手がベントレー3リッターを引っ提げ、初のル・マン24時間レースにプライベーターとして挑むと聞いた当時のW.O.ベントレー氏は、「全くクレイジーだ。きっと誰も完走できない。クルマは24時間、そんな負荷がかかるように設計されていない」と語ったと言われている。

 

 

しかし、W.O.ベントレー氏はレース開幕目前となる土壇場でラ・サルト・サーキットに駆けつけ、ダフ選手は4位入賞(ガソリンタンクの穴の修理のため長時間中断)と最速ラップを記録した。

 

 

翌1924年、ベントレーモーターズはワークスでル・マンに参戦。トップでチェッカーフラッグを潜る。これが7年間で5回の優勝を果たした最初の10年間の始まりとなった。

 

そんなル・マン初開催から78年後の2001年、ベントレーはEXPスピード8でル・マンに復活。2年後の2003年6月15日の日曜日、ガイ・スミス、トム・クリステンセン選手、リナルド・カペッロ選手の#7が377周を平均時速214.33kmで走り切り、ジョニー・ハーバート選手、マーク・ブランデル選手、デビッド・ブラバム選手の#8がそれに続き6回目となる1位と共に2位も獲得した。

 

 

そうした歴史を踏まえた今回のル・マン・コレクションはW12エンジンを搭載。ル・マンで優勝したスピード8 #7のデザインを踏襲したエクステリアとインテリアのディテールがインスパイヤされている。

 

例えばインテリアでは全モデルに、タッチスクリーン、デュアルパネル、アナログダイアルの3種類から選べるベントレーローテーションディスプレイが装備。

 

標準装備の12時間表示のアナログ時計の代わりに、特注のデザインの24時間表示のデジタル時計を採用。更に中央の標準ダイヤルの代わりにガラスケースがあり、中には2003年のル・マン優勝車であるベントレー・スピード8の4.0リッターツインターボV8エンジンバルブを入れた。

 

 

当該エンジンはコンテスト後に取り外されて保存されていたものを、32本中24本を切断。限定製作のために48個のアーティファクトを作成した。

 

そんなル・マン・コレクションモデルの製作にあたっては、2003年のル・マンで一世を風靡したダークグリーンのスピード8レーシングカーからインスピレーションを得ている。バーダントグリーンのエクステリアから、フェイシアに描かれたスピード8エンジンの一部まで、全てのディテールで長い歴史に裏打ちされた記憶が刻まれているという。

 

 

より具体的には、ル・マンで勝利を収めた2003年のスピード8を綿密に研究。今回、限定販売されるコンチネンタルGTとコンチネンタルGTCはバーダントグリーンで仕上げられ、ボンネット(およびクーペのルーフ)にはムーンビームレーシングストライプが施されている。

 

ブラックラインスペシフィケーションは、スピード 8のブラックとグリーンのカラーリングにちなんだもので、カーボンファイバー製のスタイリングスペシフィケーションのボディコンポーネントはブラックで仕上げられ、ムーンビームの繊細なピンストライプで飾られている。

 

 

ロウアーフロントバンパー、ウィングミラーキャップ、トランクリッドスポイラー下のリアの「馬蹄形」のエリアにはベルーガブラックを採用。ブラックの22インチ10スポークホイール内部には、カーボンセラミックブレーキとレッドのブレーキキャリパーが組み付けられた。

 

一方、ベントレーらしさを表すマトリックスグリル(もともとは1920年代の未舗装のル・マンのレーストラックでラジエーターを保護するために開発された)は、アークティカホワイトで#7が描かれ、2003年のレースに優勝したナンバーで1924年から1930年の間にル・マンで5回優勝したベントレーのラジエーターのペイントを表現した。

 

 

インテリアは、特注されたリースのウェルカムランプがコックピットへと誘う。シートの表面には性能重視の起毛のダイナミカが張られ、インテリアのモノクロームカラーに、コントラストの効いたホットスパーのシートステッチとシートベルトがアクセントとなっている。

 

ステアリングホイールはハイドとダイナミカで縁取られ、フェイシアとドアウエストレールには、ピアノブラックとハイグロスカーボンファイバーの2種仕上げ。

 

 

ボディ各部にはスピード8のシルプレートと6つのリースのトレッドプレートや、光沢があるカーボンファイバーにはめ込まれた6輪のエンブレムがあり、1924年から2003年の間にベントレーがル・マンで記録した6回の完全優勝した実績が刻まれた。

 

走行性能に関わるパワーユニットは、最高出力659PS、最大トルク900Nmを発揮する6.0リッターW12 TSIエンジン。これにより最高速335km/h、0-100km/h加速3.6秒をマークする。

 

 

サスペンションは、ベントレーダイナミックライドとアダプティブダンピングが付いた3チャンバーアクティブエアサスペンションとなっており、これに加えてオプションの新開発カーボンセラミックブレーキ、可変エレクトロニックスタビリティコントロール、オールホイールステアリング、エレクトロニックリミテッドスリップディファレンシャルがセットされる。

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坂上 賢治

NEXT MOBILITY&MOTOR CARS編集長。日刊自動車新聞を振り出しに自動車産業全域での取材活動を開始。同社の出版局へ移籍して以降は、コンシューマー向け媒体(発行45万部)を筆頭に、日本国内初の自動車環境ビジネス媒体・アフターマーケット事業の専門誌など多様な読者を対象とした創刊誌を手掛けた。独立後は、ビジネス戦略学やマーケティング分野で教鞭を執りつつ、自動車専門誌や一般誌の他、Web媒体などを介したジャーナリスト活動が30年半ば。2015年より自動車情報媒体のMOTOR CARS編集長、2017年より自動車ビジネス誌×WebメディアのNEXT MOBILITY 編集長。

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1975年日刊自動車新聞社入社。編集局記者として国会担当を皮切りに自動車販売・部品産業など幅広く取材。その後、長野支局長、編集局総合デスク、自動車ビジネス誌MOBI21編集長、出版局長を経て2010年論説委員。2011年から特別編集委員。自動車産業を取り巻く経済展望、環境政策、自動運転等の次世代自動車技術を取材。2016年独立し自動車産業政策を中心に取材・執筆活動中。

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1975年日刊自動車新聞社入社。部品産業をはじめ、自動車販売など幅広く取材。また自動車リサイクル法成立時の電炉業界から解体現場までをルポ。その後、同社の広告営業、新聞販売、印刷部門を担当、2006年に中部支社長、2009年執行役員編集局長に就き、2013年から特別編集委員として輸送分野を担当。2018年春から独立、NEXT MOBILITY誌の編集顧問。

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日刊自動車新聞社で取材活動のスタートを切る。同紙記者を皮切りに社長室支社統括部長を経て、全石連発行の機関紙ぜんせきの取材記者としても活躍。自動車流通から交通インフラ、エネルギー分野に至る幅広い領域で実績を残す。2017年以降は、佃モビリティ総研を拠点に蓄積した取材人脈を糧に執筆活動を展開中。

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1970年日刊自動車新聞社入社。編集局記者として自動車全分野を網羅して担当。2000年出版局長として「Mobi21」誌を創刊。取締役、常務、専務主筆・編集局長、代表取締役社長を歴任。2014年に独立し、佃モビリティ総研を開設。自動車関連著書に「トヨタの野望、日産の決断」(ダイヤモンド社)など。執筆活動に加え講演活動も。

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株式会社アーサメジャープロ エグゼクティブコンサルタント。PR/危機管理コミュニケーションコンサルタント、メディアトレーナー。自動車業界他の大手企業をクライアントに持つ。日産自動車、グローバルPR会社のフライシュマン・ヒラード・ジャパン、エデルマン・ジャパンを経て、2010年にアーサメジャープロを創業。東京大学理学部卒。

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1952年東京生まれ。産業専門紙記者、経済誌編集長を経て、99年に独立。自動車業界を中心に取材、執筆活動中。著書に「最強トヨタの自己改革」(角川書店)、共著に「トヨタ式仕事の教科書」(プレジデント社)、「スズキパワー現場のものづくり」(講談社ピーシー)など。